1/21セブチのカムバニュースが出たので・・・
とりあえず、これをアップしないと次に行けないということで、いろいろ直す部分は後程。
(これは、意訳というか、私の適当訳になってる部分もあるので、ゆっくり直していきますので、まずは雰囲気だけ。いらない私のコメントも後で勝手につけていこうと決めました・・そのために残してる記事ですし)
今回のインタビューはかわいいスンチョル満載なのですが、キャプが適当すぎたかも。
僕はマンネです
(末っ子というより、マンネという響きが好きなので)
D:兄弟関係は?
「僕は二つ離れた、本当に不愛想な兄が一人います。」
(このお兄さん、スンチョルの誕生日になる15分前に電話で起きていられないと言った方ですね)
D:幼い時代は?
「僕はよくわからなかったんですが、お母さんが目をちょっと話すと
いなくなる子供だったそうです。そして膝に傷が沢山できるほど
本当に活発で、活動的でした。そして、家族と離れて暮らして、
お祖母さんの手で育てられたんですよ。離れて暮らして、...友達と
より多くの時間を過ごす子供であり、学生でした。」
(ただの偶然なのでしょうけど・・・テグ出身のスンチョルとテヒョン。親元じゃなくて、祖父母のところで育ったのですね)
D:将来の希望が’人気良いトップスター芸能人?’
「将来の希望で・・・これ、ちょっと持ってください。はい、じゃじゃーん
(このジャジャーンが、可愛すぎて、何度もリピしてしまう。)
人気の良い、トップスター芸能人。
これ、笑える話があるんですが・・・
学生の時、先生が将来の希望を書いてきてと言うじゃないですか。
僕は当時夢がなかったんです。何かをしなければならないという考え
がなくて、その欄を空けて行ったんですが、先生が僕をとても
可愛がってくれたんですよ。いつもよくしてくださったので、だから多分
このように書いてくださったようですが、人気がたくさんじゃなくて、
人気の良いトップスター芸能人。先生のおかげで、今僕がこんな風に
なったんじゃないかと思います。」
(こんなかわいい生徒なら、先生もそうするでしょう・・・ところで、이제って口癖?)
D:本当に夢がなかったんですか?
「体育の先生でした。運動が凄く好きだったので、学生たちを教えてる
体育の先生がやりたかったんです。」
(それも似合いそうだけど、アイドルになってくれて、ありがとう)
D:アイドルにはどうやってなりましたか?
「中学校同士が集まってやるサッカー大会があったんですが・・・
そこに出場することになりました。あまりにも良い機会が多く活躍して
サッカーが上手だったんですよ。それで毎日学校が終わってから
練習をやらないといけないのに・・・その日とてもサッカーをしたくなかった
んです。体調も悪かったし・・・それで終礼を終えてから出たら、何か
その前に友達に会いそう、捕まってサッカーをすることになりそうだったんです。
それで、終礼が終わる前にさっと出ました。それで、出ていくときに、
どうしてか一人の方が挨拶をするんです。それで私をつかんで、”所属社
はどこだ?”こんな風に聞かれたが、所属社という単語がわからなかったんです、
その当時は。”いいえ、何のことかわかりません”などと言って、名刺を渡しながら、
明日何時までにここに来てくださいと言われて、”わかりました”と受け取ってだけ
家に帰りました。家に帰って父に”僕、名刺もらったよ・・・キャスティングされた”
と言ったが、父が”おい、それは詐欺だよ。お前なんかが””そうだよね”と言って、
次の日5時に行かなきゃならないんです。学校が終わって、サッカーをちょっとしてから、
ゲームセンターへ行ってゲームをしていたんです。電話がずっと来るんです。それで”何?”
って友達が”出てみろよ”なんて言うから、”何で来ないんだ?5時までに来るように
言ったのに。”と言うんですよ。”わかりました。とりあえず行きます”と言って、行かない
つもりだったんです。切って・・”何か僕がオーディションに・・・行かないよ。
父さんが詐欺だって”って言ったら、友達が”それでも一度一緒に行ってみよう。”
怖かったんです、僕も。友達が一緒に行ってくれる、このようになったんですよ。」
(興味本位だとしても、こう言って一緒にいってくれたお友達に、本当に感謝です。
でも、私が親でもやっぱり怪しいと思いますけどね・・・普通に考えたら)
D:オーディションはどうでしたか?
オーディションですか?悪くはなかったと思いまが。ただすごく
歌って、ラップすることが好きでした。それで学園祭にも出て、
すごくたくさん歌ったり、ラップをしたりした記憶があって、よくできた
んだと思います。その当時、マンデーキッズ先輩の’男だ’という曲
を歌いました。
ちなみに、マンデーキッズ先輩の歌はこちら
【出処:jungsoonjae様】
(これを歌う姿を見てみたいです・・でも、わりとこの手の歌好きですよね。)
D:歌を歌ったんですか?
はい、歌を歌ってましたね。元々ラップをしたかったんですが、あえて
歌を歌わされました。踊りを踊れるか聞かれて”いいえ、踊りを
踊ることはできません。”と言いました。
(ちょっと勘違いしてました・・入った後にラップやりたくなったのかと
思ってましたが、最初からラップやりたかったんですね)
D:すぐに合格しましたか?
「いいえ、その映像を持って会社に戻って、会社でそれについて会議
をします。キャスティング会議を。それで、おおよそ2週間後、3週間後
に連絡がきました。”ソウルに一度来て、直接会いたいです”と。
了解しましたと、でもその時も電話に遅く出ました。」
D:すぐ練習生になりましたか?
「すぐ練習生になりました。それで本当に笑えるんですが、顔を
直接見たいからと、父さんが連れてきたんですよ。それで、急に
会社からも”今日から練習をすぐにさせてもいいですか?”と言って、
僕は父さんにずっと目線を送ったんですよ。嫌だとしなければ
ならなかったんですが、父さんが”はい”と残して行ったんですよ、
家へ。だからその日からずっと練習生をすることになったんですよ。」
(アッパが面白すぎます・・・まだ中学生の息子を置いていくのが
不安じゃなかったのかな・・・急にすごい決断ですね)
D:練習生の時一日の日課はどうでしたか?
「僕の会社は本当に厳しいことで有名です。練習量が。それで
耐えられずに出た友達も多いし、学校に行って帰って来て、
練習始めたら夜明けまでするんです。」
(だからCARATが練習生になりたいと言っても反対したのか・・それとも)
D:毎月の評価もありましたよね?
「歌は決めてくれました。月ごとにどんな曲を練習しなさい。
踊りのレッスンを受け・・受けたり、それに僕たちがYouTube
や映像を見て、その映像をコピーした後に自分のスタイルに
変えて月末のテストをしたんです。」
(これは、どこでも同じですよね・・毎月の評価。大変な世界だと)
D:(ラッパー)ポジションはどのように決定しましたか?
「僕が会社に約3か月、2か月、ラップをしたいとずっとねだりました。
ラップがしたいです。なぜなら、本当にラップが好きだったから。
ラップがしたいです。ラップがやりたいと思いますとずっと、
こうして結局は”一度やってみろ”と月末のテストの時にやった後
君はラップをしなさい。はい、わかりましたと、ラップをしました。」
(ねだると言ったときの表情がとてもかわいくて・・・)
D:’SEVENTEEN’に抜擢されるためどれだけ努力をしましたか?
「その当時は抜擢されたいという考えよりは、耐えなければならない
という考えをもっと多くもっていたみたいです。ここで持ちこたえたら
結局は僕が生き残ってるんじゃないかと。それでその中の13人が・・・
耐えた友達が結局メンバーになりました。抜擢されようと何かもっと
上手くするよりは、ただもっと必死に何か成長した姿をお見せしよう、
じゃなければ、僕が一生懸命にする姿をお見せしようという考えでした。
僕がここで出てもっとよくして抜擢されようとする考えはなかったです。」
D:’SEVENTEEN’メンバーに選ばれた時気持ちはどうでしたか?
「メンバーですか?漠然としてました。これからが始まりだから。
それはそんなメンバーに抜擢されてからも、理由はデビューが
ずっとひっくり返したから。3度か4度倒れました。メンバーの誰か
が言ったんですけど、あるところで、僕たちは来月デビューする
ように2年を生きました。」
D:諦めたくなかったですか?
「本当に辞めたかったです。ずっとかなりダメになるから、なんか
僕の道じゃないんじゃないかと考えましたよ。本当に羨ましい
でしょう。周りの仲間を見れば皆友達と遊びに行って、僕も友達
と遊びに行ってみたいし、こんなに熱心に暮らしたら、こんなに
熱心に暮らしても、何にもなっていないのかと思って」
(多くの練習生がデビューすることができない現実を考えると、
本当に大変な世界ですね・・・こう考えるのも当然かなと)
D:家族に大変だと言ったことはありますか?
「僕が大変だという話は本当に言いませんでした、家族の皆に。
それで父に・・・会社を初めて辞めると話しました。辞めますと
話をして、父に話をしたんです。”父さん、とても疲れて、できない
ようだ”父さんも下りてきて、迎えにくると。それでテグからソウル
ま車に乗って来てくれました。それで宿舎にある荷物を全部車に
乗せて、テグに帰りました。ところで、おばあさんには、とても話
ができないんです。何故ならとても期待をしてて、特に僕はおばあさん
に弱いんで、お祖母さんに言葉かかけられないんです。それで、父も
それを知っているから、肉を食べた後二人で”お祖母さんの顔、どう
やって見るんだ?見られるか?それで、再び(練習生を)やるようになったんです。」
D:他郷生活が大変ではなかったですか?
幼いころから父、母とは離れて暮らしていて、それに対して大変な
ことはなかったです。あまりにも友達と過ごした時間が多く、僕は
この生活がとても楽しかったんですよ。僕は団体生活が大好きです。
一緒に何か怒られても一緒に怒られて、褒められても、一緒に
褒められて。」
D:お祖母さんにもいっぱい会いたかったんじゃないですか?
「はい、大変だったことが一度ありましたが、デビュー一か月前に
お祖母さんが倒れたんです、心臓のせいで。それで少し遅れたら
亡くなる状況でした。それである本当に感謝する方がお祖母さんを
見て、申告してくださったので、お祖母さんが生きたんですよ。
ところで、その状況を父さんは僕に秘密にしたんです。デビューまで
一か月しか残ってないので。ところがそれを兄が僕に話したんです。
兄と電話で”何もないよね?お祖母さん元気?”と言ったら、兄は
隠すことができないんです。父は冷静に隠すことができたのかもしれ
ないですが、兄がお祖母さん実は集中治療室にいてと、話したんです。
僕が泣き喚いて、大騒ぎになったんです。僕がお祖母さんがそんな状態
なのに、僕は何をしてるんだ。僕は(デビュー)しないと、すぐにテグに
戻ると言ったんです。もちろん手術がすごく良くて、僕の心の安定を
見出すようになりました」
(この話は以前番組でもしてましたね・・催眠術かけれて・・おばあ様よくなられてよかった)
(1/11ここまで)
D:家でマンネのようにふるまいますか?
「兄がとても不愛想で、僕はちょっと家ですごく愛嬌が多くて、
末娘のようにしてました。母も願ってましたし娘が欲しかった
んです。それで、愛嬌もいっぱいしました。僕が小学校6年生、
中学校1年生の時まで父の腕を枕にして寝ました。父の腕枕で
寝て、横にいました。愛嬌がたくさんありました。兄が本当に
不愛想です。」
D:リーダーになって性格がたくさん変わったようですね。
「テグから東テグにおりるときには、何か友達もいて、本当に
幼い時から見てきた友達もいて、お祖母さんも家にいたりする
から全く同じですから、同じ末っ子です。愛嬌たっぷりで、分別
なく幼くて、ところでソウルに一度のぼれば、ソウル駅に降りた
瞬間から変わるようです。なんかその足取りと、何か僕が宿舎へ
向かう足取りから変わるみたいだし、そういう部分が少し大変
みたいです。僕が本当に僕本来の姿は何と。地位と状況に
合わせて変わることがとても行ったり来たりするから、心情的に
なって難しいです。僕もチームのリーダーですが、分別もなく
外で遊びたいし、メンバーたちと分別もない話をして賑やかに
したい。どこに行っても、威厳のある挨拶をして、こんなんじゃなくて
そのまま芸達者で面白い話も簡単にしたいのに、何か僕がそんな
ことをすれば、チームのイメージがそんなになってしまうようで、
現実に。笑わせるとか、可笑しくする感じができなかったんですよ。
そんな部分がちょっと大変みたいですね。」
D:今でもそうですか?
「この差があるようですね。僕のメンバー同士でいて、ファンの方
だけ見る放送なら違うのに・・・芸能や他のインタビューをしたりした
時は、ちょっとしない方ではあります、未だに。最近感じるのは、
末っ子が私の本当の姿のようです。なるように分別もなく
だから最近メンバーの弟たちに対してもっと分別ないヒョンで
いたい。」
D:家族に対して言いたい言葉は?
これも動画で・・・
1/5 朝5時半ぐらいにカフェにコメントあげてくれましたが、ずっと練習していたのか・・・
カムバ近いしGDAやアユクデやソガデもあるから体にだけは気を付けて。
(追記1月7日)やっばり今回のアユクデもスンチョル不参加でしたね。やはりそうなのか・・・
























