こうして
生まれてきた
そして
その二年後の
そして
2歳になったばかりの息子は
障害を負い
そして
更にその
二年後の
4歳の誕生日には
運命的に
出会った
世界一ハードな
脳障害児の
リハビリの
アメリカ
ペンシルベニア州の
研究所の
初診日の初日が
偶然に
必然に
息子の誕生日
だったことから
世界各国から
集まる
研究所のスタッフや
現地の
日本人ボランティアさんに
誕生日を
祝ってもらった
そして
その12年後
16歳の誕生日は
ふと
わたしは
ディズニーランドで
朝から晩まで
息子と
〝Happy Birthday!! 〟
のシャワーを浴びたい
と思った
そして
当時
学校を休んで
遊びに行くことを
ほとんどしたことが
なかったので
学校の先生に
その思いを伝えると
「学校かプライベートかは
子どもさんの人生が
より豊かになる方を
選んだらいいと
思うので
それは
凜くんにとって
凄く良い経験だと思う」
と言ってもらい
それは
わたしも
同じ意見だったので
凄く嬉しかった
そして
元夫と娘たちは
仕事と学校で
わたしと息子は
二人とも今回は
二人で行きたかったので
それも丁度よく
二人で
お揃いの
コーディネートをして
恋人同士のように
ディズニーランドへ
向かった
そして
朝から晩まで
〝Happy birthday!!〟の
シャワーを浴び続けていた
わたしたちは
ああ、
わたしたちは誰もが
こんなに祝福されて
この世に生まれてきている
と思った
最初はスタッフの
「Happy birthday‼︎」に
無反応だったり
「ありがとう!
ありがとうございます!」
という言葉が遅くて
スタッフに届かない事が
多かった
息子だったが
そんな
たくさんの経験から
学んだ息子は
夕方になると
乗り物に乗り
出発寸前に
息子が誕生日だと知った
スタッフが
「Happy birthday!!
行ってらっしゃい!!」
と言ってくれた時には
息子は一瞬
ペコッと頭を下げて
スタッフは
微笑んでくれる
という
瞬時に対応した
奇跡のような循環が
起こるように
なっていて
わたしは
ああ、これは
息子のリハビリのように
これでもかこれでもかと
刺激を受けた結果だと
思った
そしてそれが
リハビリではなく
意図的ではなく
日常の中で
こうして起こるとき
息子は
何も言わなくても
自然に
成長をしていくのだと
わかり
それがその後
息子も参加した
第一回
まつやま絵画教室絵画展や
鈴鹿市長の
表敬訪問をしたときにも
起こった
そして
園内を
手を繋いで
歩いていたとき
ふと
わたしが
「生まれてきてくれて
ありがとう…」
というと
息子は
「うん」
と言い
涙が
止まらなくなり
わたしは
ずっと
それが言いたかったんだ…
と思った
21歳のりんにも
誕生日
おめでとう
お母さんの子どもに
生まれてきてくれて
ありがとう
と言ったら
涙が溢れ
爆発した