わたしが
小学校5、6年生で
同じクラスになった
友だちは
父親同士が
どちらも
三重県鈴鹿在住で
ありながら
鹿児島県出身だった
更に父親たちは
同じ小学校
同じ中学校
同じ高校
同じ部活の同級生という
幼なじみで
更に
高校卒業後
同じ大阪の会社に
就職したと言う
更に
それぞれ
その会社を辞めたあと
時期は違ったが
三重県鈴鹿市の
同じ会社に入った
更に
その会社の研修で
何千人も社員がいるなか
ご縁があり
再会したと言い
有り得なさすぎる縁で
そして
妻である
わたしたちの母は
同じ
ママさんバレーのチームに
所属していて
娘である
わたしたちは
小学校の5、6年生で
同じクラスになった
そして
娘のわたしたちは
泊まり合いするほど
仲良くなり
その後
同じ中学校に進学し
3年間同じ吹奏楽部の
同じ楽器になり
登下校も一緒だった
そして
高校は離れたが
不思議と
わたしは部活の
彼女は登下校の
電車でよく会い
その後
それぞれ就職し
彼女は
小学校の先生になり
彼女は
わたしと同じ高校の
男性と結婚し
それぞれ
子どもも生まれた
そして
わたしの子どもが
小学校2、4、6年生のとき
彼女が
わたしたちの
母校でもある
小学校に赴任してきた
そして
彼女は
次女たち
4年生の先生となり
していたわたしは
よく彼女のクラスの
手伝いをしていた
そして
学校で先生が
得意なことを披露する
という授業があり
ずっと
中学卒業後も
吹奏楽を続けていた
彼女から声がかかり
わたしたちは
二人で
生徒たちの前で
演奏をしたことも
あった
そして
彼女は
3人目の産休に入り
3年後復活し
そのとき
息子は5年生になっていて
ふと
来年度の
特別支援学級の先生は
誰になるのだろう
と思ったとき
彼女の顔が浮かんだら
やっぱり彼女が
支援学級の先生になった
そして
卒業までの
二年間
息子はお世話になり
わたしたちは
先生と保護者として
毎日やり取りをし
彼女が
家庭訪問に来ると
二世帯で同居している
実両親も喜んだ
そして
息子が卒業後は
また
友だち関係に戻り
お互いたまに
近況報告をし合い
息子の成長も話し
去年の
彼女は
息子の絵の前に
立ちすくみ
「自分は
絵心は全くないけど
涙が止まらない…」
と泣いてくれた