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今日の為にアレンジをお願いした。

行った事がないお花屋さんに

思い切って行ったら、とてもおしゃれな所で、

作って貰ったのは夫に合う感じで良かった。

私の母親がとくに褒めてくれた。

 

 

 

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今日は初めての月命日だった。

 

最初は1人でひっそりと

迎えようかなと思ったが、

義両親が来たいだろうなと思って

3日前位に連絡した。

 

義両親が来るなら、実両親もと思って、

今日両家の両親と迎えた。

 

来てくれて、みんな私の事を

心配してくれるのは

とてもありがたい。

 

でも、でもね・・・・

 

私も70歳くらいになっても

2人で過ごしたかったと言う

気持ちになり、

両家の両親を見るだけで

辛くなってしまった。

 

足痛い、腰痛い言いながら

お互いの事をあーだこーだ言いながら

何だかんだで夫婦で過ごせる。

 

いいな、私もそんな老後を

迎えたかったんだけどな。

何で私にはそんなささやかな老後が

失われてしまったんだろう。

 

その後、両親を車で送る時に

ホームセンターで買いたいものが

あったから、普段なら1人で行くのだけど

他の家族を見るのが辛いから

両親に付き合ってもらった。

 

私が欲しかったものは

注文品になってしまった。

 

注文しますと言ったけど、

物凄く時間が掛かってしまって

ぐったり疲れてしまった。

 

1人だとこれで帰れるけど、

あ、今日は両親と来たんだ、

親どこに行ったんだろうと探した時に

ふと、今までだったら探す人は夫だったな。

夫とはぐれたらすぐに電話して

「終わったよ、どこにいるの?」と聞いて

合流したな、と。

 

「何でそんなに時間掛かったの?」と

言われ、私が事情を説明する。

 

今日のパターンだと、

XXの品番控えない私が悪いと

言われていただろうな。

(本当に欲しいものの品番は控えたけど、

店はそれに連携するXXの

品番も知りたかったらしい)

 

もう夫と大きいお店で電話して

合流する事が出来ないんだ、

時間が掛かっても責める人がいないんだと思い、

どうしようもない悲しみが襲ってきた。

 

その後親と合流はしたけど、

私は車の中で涙をこらえるのに必死で

一言も話すことが出来なかった。

 

そして、夜は夫の友達が来てくれた。

私も分かる昔話をしながら

懐かしいね~と話をした。

 

夫はこの友達と一番仲良かったと思う。

でも、この友達を夫がお骨になる前に

合わせてあげる事が出来なかった。

 

私はこの友達に夫が

眠っている時に来て欲しかった。

でも、個人的に連絡先知らなかったし、

あの気持ちが追い付いていない状態で

頭も働かなくて、何も出来なかった。

 

今なら逆に私が連絡先を知っている人に

聞いて何とかしてもらえたんだけどね。

呼べなかった事、後悔している。

 

夫が一番気を許していた友達なので、

私も自然に色々話が出来た。

 

これからも月命日は来るからと言ってくれた。

私は49日が明け、コロナが落ち着いたら

夫の遺影を持って一緒に

飲みに行きたいから誘ってと言った。

 

もちろん、そういう場を作るし、

連絡するから!と言ってくれた。

 

夫の仲のいい人、飲み仲間と

飲めるのは楽しみだなと思えた。

 

月命日は前日も含め、

本当に色々な感情が生まれた。

絶望、孤独、悲しみ、寂しさ、やるせなさ、

夫が来てくれたかもしれない、ささやかな幸せ、

両親に嫉妬、お店に行っても夫と合流出来ない

とても悲しい現実、夫の友達に救われた・・・など。

 

感情が追い付かないよ。

 




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