ノーアート ノーライフ | P's diner

ノーアート ノーライフ


あれ。

気づけばもう9月も終わりそう。

いつまでこのブログは「夏仕様」なんだ。
ちょっと秋っぽく変えて行こうと思うこのごろ。


さて、一気に肌寒くなってきたせいか、夜にいろいろ考えが巡ります。
目と頭(はどうかわからないけれど)が冴えてしまって、
なかなか寝付きが悪いです。


考えるのは、もっぱら
「今やりたいこと」と
「5年後10年後の仮想ビジョン」。


「今やりたいこと」に関しては、やってもやっても
減らない、というかむしろ増えていくから困りものです。
一日が65時間ぐらいだったらいいのに、などと、なんともベタな
ことを思ったり。


「仮想ビジョン」というのは都合のいい言葉で、
ようは「妄想世界にダイブ」しているということ。

幼少期からの癖は、なかなか抜けないものです。
妄想の中身も、ぜんぜん変らない。
(「毎日ステーキたべたい」とかね)




なんの技量も経験も無く、ひたすら印刷所に通っては
技術と知識(と紙)を盗んでいたころ、

確か9月、新宿の劇場で、ある人から
「君って器用貧乏だよね」と言われて、当たっていただけに
本当に悔しい思いをしてから7年。

つまり、
「俺は器用貧乏では終わらない。器用貴族になってやる」と
(たまたま輝いていた)星に誓って7年。


今の僕ははたしてどうなのか。

僕を悔しがらせてくれたあの人は、今の僕を見て
何と言うのかしら。
(たぶん「太ったねえ」)

それより、7年前の僕が、今の僕を見てどう思うのかしら。


僕は、精神的童貞特有の自意識過剰さをいまだに
捨てられないでいる人間なので、

すれ違う人が、僕を指をさして笑っているのではないかとか、
目が合った女の子は、皆僕の事が好きなんじゃないかとか
思ってしまう(もう病気だよ)のですが、

なにより過去の自分の視線が一番気になります。


なにしろ、他でもない僕のことです。
今の僕に輪をかけて天邪鬼で、気分屋で、プライドの塊。
でもって夢想家で妄想家。

そんな僕が納得する未来なんて、そうそう創れるものではありません。
その分やりがいもあるのだけれど。


情けないことですが、
30をすぎたところで、まだまだ自分のことで精一杯。

そう遠くない未来に、結婚したり子供(男なら麟太郎、女なら麟子)が
できたり、僕を取り巻く環境はどんどん変っていくでしょう。


でも、きっとこの先、おそらく死ぬまで、
僕の衝動の根っこにあるのは、未来とか、家族とか、
ましてや世界とか、そういうカッコいいものではなくて、
「過去の僕の視線」なんだろうなと思います。



せめて、かつての僕に、
「まあ、まんざらでもないかな」と笑ってもらうために、
これからもあの手この手で進んだり戻ったりしようと思います。

勝算は、実はちょっとだけあります。




えーい 紙をまっくろけにぬりつぶしちゃえ
なんとかなるだろう
物語はここから始まるのだ

手塚治虫(敬称略)の言葉を噛み締めて床につきましょう。




こういう恥ずかしい内容をサラッと書けちゃうのは、
たぶん秋だから。


こういうのも、たまにはね。

いいじゃない。




・・・ねえ?