元旦、4時に起きて装束に改装し

神社への道を急ぎます。

数年前、その地元の人らしい幼稚園くらいの子供と父親、

中学生くらいの男子が5名、日の出を待っていた場所を通りかかったら

朝陽の気配、日の出の時刻には出社していないといけないので

 

ある、田んぼの中の駅付近で

朝の気配の写真を頂きました。

例年は1分でも早く着こうとしか考えていないのですが今年は    

この雰囲気だけでも写真に収めたかった。

今年もよろしくお願いいたします、と一礼して

自分は神社へ急ぎます。

 

 

 

 

 

そこから20分くらいで神社へ。

 

 

 

 

 

すっかりそのころには明るくなっていて

 

 

 

 

 

徹夜組のスタッフに挨拶をし「お疲れ~!今代わるからね」

着ていたダウンコートを脱いで、社員しかいないお宮で贅沢な初詣です。

一人拝殿に入り、祈らせて頂きました。

祈って拝殿から控室に戻ると、バイトの子たちが次々到着してきて

「足袋から履いちゃってもらっていい?できた人から装束持って

私の処来てくれる?」

襦袢、左前打ち合わせの指示、白衣を着た子から

おじさんなら夢の世界?女子高生、大学生の娘っ子たちに

抱き着きたい放題,触り放題。紐締め放題。

ユニクロの布バックが使い勝手がいいので多めに持参し

「服とか全部ここに入れて。授与所に持っていくからね、使う子??」

巫女長、それくらいの気配りができないと。

授与所について、徹夜組に

「じゃここから代わりま~す、寒かったでしょ、これで暖まるかどうかわかんないけど

チョコレート作って来たよ。お家で食べて」

生トリュフの差し入れ。

 

 

 

 

 

参拝者のかたがたに、おめでとうございます、ご参拝ありがとうございます、とご挨拶して

福娘たち一同(一人違うのが混じってるぞ、の苦情は受付いたしません)参拝の方々とご挨拶を交わし

「お姉さんの顔見ると今年もいいことありそうだわ」

お馴染みさんが幾人も来て下さり

手を振りあって笑顔で挨拶を交わす。

「そりゃそうよ、福娘だもん。福、持ってって。みんなで幸せになるよ!」

図々しい福娘。

 

 

 

 

 

 

例年は皆ですわって話す時間も在るのですが

今年はなんだか人が切れず、福娘、授与品の説明で

「ほら、こういうふうに福をかき寄せるんだよ」

熊手の説明を、稲荷社の前まで出張り

実演入りでやって見せる。

どこかで、熊手で福をかきよせている人がいたら、それは西住の指導を受けた方かもしれません。

品の悪い服娘ですみません。

 

 

 

 

 

椅子に座る休息もなく、気がついたら9時間ばかり立ったまま経過してました。

昼食も10分で掻き込んだので、朝日が昇ったと思ったら

もう夕日が沈んでいました。

「人が切れないからそろそろ上がっていいよ、遅くまでごめん」

謝儀(お給料)をいただき、娘っ子たちに「着替えよ」

控室に荷物を持参して着替え、スマホに緊急地震速報が入っていたのに気が付きました。

 

 

 

 

 

 

 

能登半島で大きな地震が発生していました。

当地でも震度3の地震が来ていましたが

それくらいの地震は日常茶飯事なので

遠く石川県の地震がこちら迄伝わって来たとは

まさか考えませんでした。

8月に亡くなった盟友の家のそばを震源としていました。

友は何時も地震を案じていて、少しでも何かが起きると即被害調査に出向いていました。

地域で唯一の若い男性だったのですが

友がいなくなったそこは、ただご老人世帯か、もうその地域を捨てた家ばかりで

珠洲市に住まう同朋さんも、新年の神社で明るく年越しをされた処だったと推察されます。

珠洲市の大好きな場所も海もすぐ隣なので

津波に洗われたようです。

被害に遭われた皆様、今はまだ気丈で過ごせるかと思います。

電力が回復したり、日常が戻ってくると

急に変な不安に襲われ、家を空けるとみな死んでしまうような

変な不安に襲われたりします。

自分は東日本大震災に、福島県内で被災し、震災後3日目には、

検視官が足りないという理由で、仙台に入るチームの一員として

仙台市に伺いました。

電力も失われ、明るい時間しか検死作業できず、夜薄暗い明かりの下で

死体検案書を書きました。

津波のご遺体は残酷です。洗濯機に、人間もコンクリの塊も車も入れて

回したような状態です。

 

 

 

 

 

 

そして本日、日本航空の旅客機が午後5時47分、羽田空港に着陸しようとしたところ、

機体から火の手が上がりました。

詳細は何が真実なのかまだまだ起きたこと、しか判りません。

旅客機側は全員脱出したようです。

自分が現役の頃は研修所に半年入り、事故の対応も

繰り返し脱出方法を訓練しました。現在はそこまで期間がないであろうに

善く脱出させたと思います。

自分が倣った時のアナウンスは<インファントをお連れの方は>と案内していました、

インファント、なんて一回聞いて「ああ、幼児か」と理解できますか。

今回幼児を含む、と脱出者の数につけ加えてました。

幼児、と言ったのかどうか、変なところが気になってしまいました。

 

 

 

 

毎日、あれこれと何かが起きる。

その渦中にあられる方。

最初は気を張っています。

次に来るのが喪失感です。

役所の機能が戻るのを待ち、現地にはなかなか入れないので

義援金を送りたいと考えて準備しています。