義とは、条理/行うべき正しい道に従うこと/道理にかなうことなどの意味をもつ漢字。
辞書的解釈だとこうなる。
平成の初期、ある育児サークルで
自分の配偶者の親のことを 「義 両親」
婚家を 「義 実家」
と表現する人を見て驚いたが
現在は amebaブログのトピックスを見ても、普通にこの文字が使われていて
違和感がたまらない。
何故「義父母」「婚家」と言えないのか理解できない。
義 をつけなければ表現できない関係。
「好んでこの家なり親なりと関係を持ったわけではないんです」
という感情がそこには見え隠れする。
もし、配偶者の親が、好きでたまらない人物であったら
配偶者の親は義 両親と呼べという社会的通念の背景があったとしても
そう呼びたくならず、相手にニックネームを
付けてしまうかもしれない。
実際自分は娘の配偶者の親を、ニックネームで呼ばせて貰っている。
相手も私をみほりんと呼ぶ。
あくまでも自分が目にした「当社比」なのだが、
義 両親や義 実家 と表現するのは女性に多いような気がする。
男性が自分の配偶者の生家や生みの親を
そう表現したのを見たことがない。でもそれも存在しても不思議ではない。
男性でそう呼ぶ方があったら、西住に教えては頂けないですか。唯知りたいだけで、
知ったから公表するとかではありません。
このご時世なので、片親のもとに育った人も多いかと思う。
以前娘がお付き合いしていた男性も母子家庭だった。
こういう場合、両親はいないから「義父」「義母」と呼ぶ以外ない。
両親、とひとくくりに表現したい相手なのだろう。
それは全く別個性を持つ、別の性別の男女の集合体なのだけれど。
先月亡くなった友は、こういう解釈をすることが好きな人だった。
まだまだたくさん議論したいことがあった。
「義 両親」「義 実家」と表現する人は、
付き合いたくなくても付き合うような友を
「義 友」とでも表現するのだろうか。
「義」という文字は
本来とても崇高な意味合いを持つものであったのではないかと思われる。
しかし現在の使われようは、
<心からしたいわけではないが
形式的に体裁を整えないとならない対象に対して用いる>ようにしか見えない。