今日は久しぶりにお仲間さんに会えました、

どんな仲間かというと、互いに切磋琢磨し

よりよい生き方を模索する仲間、とでも言うのか。

 

 

 

 

 

 

私からは『硬貨は全部洗う。10円玉は磨く』

という報告。

大したことをしているわけではなく、お札は洗えないので

硬貨は手に入ったら、すべて洗浄して感謝を伝えてから使うことを心がけている、

というだけのことです。勤め人の時はそんなことをしている時間の余裕はなかったので

退職してから始めました。

今は家族が『みほちゃんの趣味ね』と10円玉をくれます。

酢につけて、汚れがはがれるのを待ち

クレンザーをつけて指で磨きます。

で、乾かして終了。

「すごい、全部ぴかぴか、硬貨が喜んでる!」お仲間さんが喜んでくれました。

光ものが好きなので(からすみたいなものです)ぴかぴかすると嬉しいです。

 

 

 

 

 

お仲間さんからは

「息子にね、小さい頃からものを処分する時には

捨てる、って表現したくなくてね。

ありがとう、してからごみ箱に入れようね、って教えてた。

 

何となく、いつからか息子は<ありがとうする>って言うようになったの」

 

 

ありがとうする、いい表現です。

 

 

 

 

 

「ありがとうする、と思ってモノを見るとね。

流行した断捨離みたいな処分の仕方が出来なくなるの。

断捨離っていうのは、何も考えずに<これ不要>て

ポイポイとものをごみ袋に突っ込んで行く行為にしか思えなくてね。

高名な、断捨離で有名になった人もあるようだけど

ああいう人って<ありがとうしている>のかな。

ものだって無為に捨てられるとき、悲しいと感じると思うのね。

愚かな考え方かもしれないけど

自分は<ありがとう>したい」

 

 

 

 

 

鼻をかんだ紙でも、

それはその紙が、鼻水にまみれるという役目をしてくれたから

自分は鼻水から解放される。

ありがとう、をすべき案件ではないか。

そういう意見に双方は落ち着いた。

最初は意識的にありがとう、と思わなければならない場合もある。

でもそれを続けて行ったら、それは自分にとって

当たり前の行為になってゆく。

 

 

 

 

 

「その目でごみ箱を見たら、そこにあるのは塵芥はなくて

みんな、ありがとうの集大成だよ」

「そうなるよね、いいよね、ありがとうの集大成って」

早速明日、ごみの収集がある。

油性マジックで ありがとう と書いてみた。

ここに入っているのは、みんなありがとうです。

 

 

 

 

 

 

笑われてしまうような事態ですが

でもね、日常が少しだけ軽く楽しくなるように思えます。