発端は、友人からの

妹がいけなくなってしまったので、コンサート行かない?

という誘いでした。

小田和正さん、さいたまスーパーアリーナ。しかもS席。

考えて考えて考えて24時間。

 

 

 

 

 

 

 

たぶん、小田さんはもうそう長くは歌えない。最後のチャンスになるかもしれない。

しかもS席。

しかも親友NONが亡くなって、数少ない親友からの誘い。

棚から牡丹餅以上の確率での誘いなのは判っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

出した答えは「ごめん、ほかの方誘ってもらえる?」

 

 

 

 

 

 

 

 

誘われた瞬間、嬉しかったか?誘われたことは嬉しかった。

そく、行きたい!と飛びつけず、考える時間の猶予を願ったこと。

現在の体の状態で(明日というわけではないのだが)

会場までたどり着けるのか?楽しめるのか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こういうイベントは、後先考えずに「行きたい!」

と身体が動いてしまうようでないなら

多分、現地に行ってもしらっとしたままで推移する。

それは誘ってくれた友人にも、小田さんにも失礼になる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まだオフコースで活動していたころ、

大ファンの友人に誘われ、ラジオ番組収録を見に行ったことがある。

ちょっとした場所のロビー。ファンは20名ほどだったと思う。

他の方に押され、気が付いたら小田さんから 1m くらいの場所の席に座っていた。

ピアノを弾く指迄見え、収録後には握手して

「素敵でした。これからもいい歌をお願いします。」

と、直接話す機会もあった。握手しながら、小田さんは、ちょっと悪戯っぽく笑って

「僕の曲の中で何が好き?」と聞いてきた。

「別れの情景 Ⅰ です」「どこが好き?」

「男女が離れる、恋が終わる瞬間を感情的に捉える歌は多いです。

でも別れの情景 1 は、きわめて感情を抑え

淡々と別れの風景を描いています。」

「まだ幼いのに、そういうところまで読み取ってくれたんだ、ありがとう」

因みに大学生まで、私はよく小学生に間違われていたので

小田さんも、大人な意見を言う小学生だと思ったのかもしれない。

高校生でしたが。

他の、いかにもオンナの雰囲気の方とは、あまりしゃべらなかった小田さんは

小学生となら普通に喋れたのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

彼の記憶にはもうない出会いだと思います。

 でも、自分にとっての『生 小田和正』の記憶。

 

 

 

 

 

 

 

 

オフコースのファイナルコンサートも伺った。

あの時の小田さんは、勿論話せるような場所には居なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

(うちの屋根まで写ってますが。薄い雲が風にまくれた光景が良かったので)

 

 

 

 

 

お誘いを受けた時、自分の中に渦巻いた意見は

貴重な機会だし

何の努力もなく降ってきたし

親友と行けるし

行きたくてもチケット当たらない人もあるのだし

・・・・というような、外的要因ばかりだった。

 

純粋に行きたい!とまず思えたなら、身体どうでも行ってしまえると思う。

純粋に行きたい!と、まず思えなかった。

これがどこかの寺社へ行こう、という誘いなら

純粋に行きたい!と思って即OKしたな、と思えた。

現在の自分の価値観に照らし合わせたら

コンサートより、寺社のほうが重い。

<欲しい!>と、飽くほど思っているものが降ってきたなら

迷わず掴む。

現在の自分は、それを飽くほど欲しくはなかったのですね。