ここのところ起きている状況が、余りに凄すぎて

今生きている命は、後に歴史の教科書に記載されるような

事態の中で生きていることを感じずにはいられない。

 

 

 

 

コロナ禍

 

交通も遮断されるような降雪、降雨

 

トンガ諸島 海底火山大規模噴火

 

 

 

枚挙に暇がないような事態が次々起こって行く。

 

 

 

 

 

そういう社会情勢に目を向けていると

自分の上に起こることなど

みな ちいさい と慌てる自分を笑い飛ばしたくなる。

 

 

 

 

 

とても簡単な事なのだ。

自身に起きることは 自身が対処できること。

本日の自分に対し 「あの噴火に対し何とか対処せよ」とか

「雪で孤立してしまった地域に出向き、その対処をせよ」

等と命じられている ごく一般市民 はいらっしゃらないと思う。

それはその道のプロが拝命することになる。

自分に起きる事=自分の人生に起きる事

つまり自分が対応する事、である。

 

 

 

 

 

 

行きつけ占い師が、鑑定師がいます、と胸を張る方がある。

それは「お腹すいたのですが、ご飯食べた方がいいのでしょうか」と

判断が出来ず、他者に聞くようなものである。

「法的問題が起きて、弁護士に相談する」

ような専門知識と経験が必要な内容でない限り

自身が考え、状況を分析し、知識を集め、対応を考える、

それが人が活きる、という事ではないだろうか。

 

 

 

 

 

 

、音を上げてしまったら

望む未来へは到達できない。

そういうケースを多数見て、一般の方への

相談は、辞めた。

ついてきてくれる方は、確実に望む道へ導く。

トーダイ合格だろうと、難局な婚姻、入社、曲面打破だろうと叶える。

自分が実践した道だから。

 

 

 

 

 

私は自身の道は自身の望む方向へ

舵取りし続けている。

他者の関わる事態に翻弄されることはあるが

自身の道は、揺れてもぶれない。

 

 

 

 

自身が心がけている事の一つが「投げかけ」

 

 

 

 

 

目の前の人に投げかけても
何も返ってこなくても
全然違うところから帰ってくる。

なので案じる必要はない。
むしろ返ってこないほうが
何倍も大きなものがあさっての方から
やってくることになる。


 

 

 

 

かっこ悪い一例を挙げると

大好きな人から突然一方的に振られ

頭のネジの大半が飛んだことがあった、けれど

自身の望む道である 現在のお宮の神職から

全く思いもしなかった

何倍も大きなものが返って来た。

まさかこの人が?と思う相手から

意外なものが 返球された。

 

 

 

 

 

 

ただ好きだから 尽くしています。

であればよかったのだけれど

その方からともに人生を歩みたい、という申し出を受け

その後また突然手を離された。

その差異に、

自分が自分の中の期待を成就できなかったことに

頭のネジがぶっ飛んだ。

 

 

 

 

 

 

ツインから返されたものは

愛情からではなく

人間として共に居たいから、

という申し出で

男女だから、ではなく

「あなたという魂が必要です」

という、人間でありさえすれば他に条件のいらない

申し出だった。

 

 

 

 

 

 

ツインは誰とも違う位置にいる。

そしてまた、他の誰とも違う位置にいる

大切な方との時間も進行形である。

 

 

 

 

 

 

これは ただ幸運としか表現のしようがない。

 

 

 

 

 

その存在の方々への自分からの投げかけは

 

 

 

 

 

ただ その相手との時間が心地いいから

その相手との交流の中に 学ぶものがたくさんあるから

ただやりたいから やっている。

 

 

 

 

相手から返るものを期待してではなく

その相手が 自身の投げかけるものを否定することなく

交流してくださる。

 

 

 

 

 

そして結論、自分の現在

過去の自分にとっての未来 は

自身の望む通りになっている。

未来は現在の自分自身が創るもの。

 

 

 

 

 

恨んだり 不満や愚痴を言ったり思ったりすること無く

現在を受け入れ 時手に依存することなく

傍らにいて下さることを感謝して

日々を淡々と

しかし

日々の出来事を冒険と捉え

何事も自身で受け止め

分析対処し

不満や思い煩うことも無く

他者へどれだけお渡しできるものがあるかを考え、行動して

生きてゆく。

ただ生きているだけで忙しく

退屈する時間が無い。

一日が 生きている事だけで密に過ぎてゆく。

どんな出来事も

心揺れることはあっても

心ぶらすことはない。

ただ 生きて経験し続けられていることが楽しい。

 

 

 

 

 

つぎ、なにをしよう?

そう思うだけで 楽しくてわくわくしてくる。

 

 

 

 

 

たまたま点けたTVで知ったドラマが心の指針になったり

毎日新しいものごと出会い

学ばせて頂き続けている。

<来年(節分以降)したいこと>リストも少しづつ溜まっている。

楽しくて身もだえしちゃうよ。

 

 

 

先日の飛行機から見えた富士山。

いつも祈りの場所から見ていた 航路の飛行機に

自分が乗って あのあたりで見ているんだ、と見下ろす不思議。

これも、過去の自分が夢見た現実。