昼行燈で、ぼ~っと昼夜問わず、空を見ていることが多い。
なので、流れ星を見つける機会も多い。
一般的な流れ星は、しゅっ、と音を立てそうな勢いでスマートに流れる。
しかし流星群と呼ばれる流れ星は、ちょっと不思議な流れ方をすることがある。
大気圏に突入した、0.1mm以下のごく小さな宇宙塵から、数cm
発光するのが流星。
2001年のしし座流星群は、見事としか言えなかった。
流れ星が出現しない時間がない状態だった。
流れっぱなし(笑)。
その中で気づいたのは、一般的なイメージの流星の他に
まるで、空の星がほろりと崩れて落ちてくるような
脆弱な流星があること。
スピードもなく、あり得ないのだが、そこに見えていた星が
そのまま、不意に落とした、手に持っていた荷物でもあるかのように
特に速度もなく、ただもろい光を一瞬光らせる。
極微細な宇宙塵だったのだろう。不用意に大気にはまってしまったので
発光してしまいました、とでもいうような光。
数も多いのだろう、ほろりほろりと、脆弱な光が
まるで蛍が落ちてしまいました、というような光を放ち
空を彩り続けていた。
蛍 (北原白秋)
蛍ひとつ叩き落としき。
その蛍地(ツチ)に光りき。
こまごまと二つ光りき。
光り、光りき
この、白秋の詩のように。
蛍のような脆弱な流れ星は、しゅっと流れる流れ星より
色香もあり、同時にそれは流星ではなく、儚い蛍なのではないか、と
不思議なことを感じながら、ただ、見ていた。
流星には、他に火球と呼ばれる種類のものもある。
比較的大きな物体、地上まで落ちればそれは「隕石」と呼ばれ
燃え尽きる場合もあり、いずれの場合も<火球>と称される。
2001年のしし座流星群を観測していた時。
確か、3時30分頃だったろうか(時間失念)。
南の空を、バットを振る時のような ぶん!という音と共に
素晴らしい火球が横切った。
音は、本当にしたのかどうかわからない。
ただ、自分の耳には、聞こえたのだ。
(参考画像です)
空気を振動させるのを、確かに感じながら火球を見送りました。
駆け抜ける、という表現がぴったりな火球でした。
ある時。春先だったような記憶があります。
千葉県の我孫子市にその時の自分はいました。
夕刻。闇はおりていました。
周りには、20人くらい人が歩いていました。
建物と建物の間、長く切り取られた空間に向かって私は歩いていました。
そこに不意に、めらめらと燃える炎まで見える、
熟した夕陽のようなものが落ちてきました。
実測は判りません。自分の視感でしかありません。
とにかく、天頂に登った満月くらいの大きさはありました。
火の球。
私はそれを見て歩けなくなり、立ちすくんでいたのに
周りを歩いている人間は、誰もその事に気づかぬように
自身の歩みを進めていました。
すぐ、めのまえに、闇を照らす赤いものが燃えて落ちて行ったのに。
この時に私は、<見えていないものはその人にとって真実ではない>
<同じものがそこにあっても、見えない人、きづかない人がいる>
ということを悟りました。
翌日の朝刊に、その火球のニュースは取り上げられていました。
やっぱりあれはあったんだよね?
見間違いじゃなく、あったんだよね?
隕石は、千葉沖に落下した模様、と書かれていました。
その自然現象は、自分が見ていようとみていまいと
自分の頭の上で、確実に起こっている。
それなら私は、きちんとその機会を捉え、自身でそれを確かめたい。
ひとつでも多くの事象を、逃すことなく見ていたい。