札沼線 新十津川~浦臼間
梅雨空のぐずつく関東を離れ、北海道 新十津川町を中心とした旅を楽しんで来ました。
暫く、曇りか雨空しか見ていなかったのですが
どうせ何も見えん、と飛行機内、本を読んでいて、ふと、窓の外が明るくなり見ると
眩しい青空。
ここしばらくの風雨で、すっかり澄んだ空の綺麗なこと。
降り立った北の大地は、雲はあったものの、それまでの陰鬱な空に
慣れていた自分には、感激ものの晴天。
今回は、「何処かへ行く」目的は無かったので、車は借りず。
ひたすら交通機関移動。
不自由な点はありますが、ハンドルを握らないという事は
十分景色を堪能できるということ。
千歳空港~札幌~岩見沢(函館本線)~滝川を経て
滝川から、2時間に一本のバスに乗り「ふるさと公園」へ。
終点、まで乗っていたのが自分一人であったこともあり
運転手さんが「どこまで行かれます?」
そこから200M程の宿泊施設を告げると
「ここはフリー区間ですから、宿の前まで行きましょう」
地方のバス路線には、こういうサービスをしている区間があるようで。
タクシーならず、バス(しかも路線バスw)横づけ。
後で見ると、本来の路線より結構回り道してくれたようでした。ありがと!
新十津川町 サンヒルズ・サライ
のどかな風景の中に、トートツに現れる(笑)。
周辺は、スポーツ施設等があり、水田と点在する家と。
結論から書くと、ここに丸二日滞在しましたが
全く退屈せず。
神道や神々の話をさせて頂いたり、カウンセリングさせて頂いたり。
日差しは強いのですが、木陰に入ると湿度が低いため
風に吹かれながら芝生に横になっている気持ちの良さ。
で、またゴハンが美味しいのよ。
朝食にはおかゆがあり(しかもちゃんと米から炊いてる。学校で料理教えてた時
米からと、ご飯からと、両方から作る炊き方をやって見せてたので
食べりゃ、どっちか判ります)何でこんなに美味しいかな~と
一人悶絶していたら、調理員さんに、ありがとうございます!と言われ。
悶絶していた自分が、恥ずかしい。
米処に生まれ育ったので、コメは好きです。
でもアメリカにいた時は、特にコメがなくて死にそうになった、こともありません(-"-)
7年前、方位取り(氣学で言う、条件のいい日に、自身にとっていい方位へ出向き
神社参拝や、滞在をする、という開運行為)に、千葉県鴨川市にある
日蓮宗 清澄寺 の宿坊に泊まりました。
それが、その日の宿泊者は私一人で。
夕食の案内を受け、食堂に行くと私一人だけのために板さんが。
団体が多いので、小型はなかったのかもしれませんが、巨大なおひつを持ってきて
にこりともせず、無表情で手渡してきながら
「おかわりしてくださいね」
推定、2合分はありましたか。頑張って食べましたが。7割ほどでGive up
こ、これお代わりしろって。どんだけ食べると思ったんだ???
その夜、一晩、胃痛に苦しみました。。。。。
翌朝再び、夜より多いご飯が供され
「おかわりしてくださいね」
笑いもせずに言うか?板さん。
今回の寺での修行はきっと、このごはんとの格闘だ!
お勤めの内容が全く飛んでしまい、ごはんのことしか記憶にありません(-_-;)
というのを思い出した、このごはん・・・・・(-"-)
私は、大きい声で言いますが(笑)鉄ヲタです。
鳥取に住む、20年来の友人も鉄ヲタなので、時々壮大な?鉄道旅をします。
京都で待ち合わせて、富山への鉄道旅とか。
相手がいけない、自分だけが行けた旅は、いいだろ~とお互い見せびらかし合う
見下げた根性の人間です"(-""-)"
新十津川町には、札沼線が乗り入れを行っていて、その終着駅がここ。
2020年5月7日を以て、北海道医療大学駅~新十津川駅間の営業廃止と共に廃駅になる予定です。
運行は、一本だけ。
午前10時の「最終列車」
出発前のアナウンスでも、その旨の放送がありました。
私の最も愛していた路線は、昨年3月31日を以て廃線となった「三江線」です。
広島県三次市~島根県江津市を結んでいた 営業距離108キロ余りの路線。
廃線前の半年で、3回乗りに行きました。
それは語り始めれば、丸一日語れるような愛着と様々なエピソードを持つ旅でした。
毎日乗れるような場所に住むわけでもなく。
もっと逢いに行きたかったけれど、そういう訳にもいかず。
営業最終日、人が多く遅れは出るだろうけれど、何時何分に何駅に着くのかを
時刻表を眺めながら、自分の場所で追っていました。
だから、まだ余裕のあるうちに、札沼線にも乗っておきたかった。
それもあり、交通機関を使う旅を選びました。
まだ色鮮やかな緑と。
ところどころに見える家や、もっと運行本数が多かったとき
どんな風に使用していたのだろうと想像を掻き立てる単式ホームと。
廃止前に、絶対もう一度行こう。
高校生~大学までの間、一年の内ひと月は
北海道の友人の家で過ごしてきました。
友人の父が、最終的には、全道ほぼ連れて行ってくれました。
そういう下地もあり、道内はどこへ行っても、あの時こうだった、と
以前の姿が思い浮かんできます。
変わり続けててゆくこの土地。
それは、改良でも改悪でもなく
ただ、変わり続けてゆく、としか表現できない、変化なのだろうと思いました。
そして私は、ただ、その大地に融け込む経験をした
今回の北海道ゆきでした。