先日の土曜日、再度関ヶ原へ行って参りました∠( ̄◇ ̄)
ダンナの希望で小早川陣跡と、前回行きそこなった歴史民俗資料館は絶対押さえたい。
と言う訳で、リトライ関ヶ原・その1 っす。
その1って、ええ、私、また関ヶ原へ行く気満々です ( ̄Д ̄)ノ オウッ
小早川くんとこ行く前に、通りがかったから寄った、福島正則陣跡↓
予定には入ってなかったんですが、小早川陣跡の途中にあったのと、福島正則って、実は地元のご城主様だったってこともあって、素通りも失礼かと。
出生地もすぐ隣の市らしいし、縁と所縁はあるんですけど、地元での認知度は酷く低い武将だったりします。
つか、知ってる人いるんだろうか?
知ってるが蓋をしているんだろうか?
ここいらのじいちゃんたちから、名前出た事ないと思うぞ?
戦国無双では、加藤清正と一緒にレギュに格上げされたんだが…。
愛知県のあま市には、明治まで「正則村」という村もあったので、もしかしたらそこが出生地だったのかもしれないですな。
無双で遊んでるあま市民(つか、旧美和町民)は、ご存じなんだろうか。
ちなみに正則君は、秀吉子飼いの家臣で、賤ケ岳では一番槍で活躍した好戦的な猛将でした。
三成君とは相性がめちゃくちゃ悪かったような説が有力でして、もちろん関ヶ原では「アンチ三成」の東軍でした。
どうやら近江人気質と尾張人気質は、相容れないモノがあったようですねぇ。
なんかちょっと解るような気がします・・・( ̄∇ ̄;) アハハハ
そうそう、尾張に誇りを持っているご高齢者の中には、三河にも露骨にヤな反応される方が結構います。
尾張人のくせに三河人(家康)の腰巾着に率先してなり下がった正則君は、その時点で地元からスポイルされる運命だったのかもしれません。
尾張地方、現代になっても、なかなか面倒な空気が漂っておりますよ…。
かなり慣れたけどね。
まぁ、なんかそんな感じで、地元民からなんだか理不尽な扱いされている気がしますが、そういう武将がおりましたよ、と…。
さて、無駄話が長引いてしまった。
樹齢800年の大木を拝んで、関ヶ原第三の男、小早川くんとこへ行ってみよう♪(* ̄∇ ̄)/
小早川君の陣取った松尾山の入口駐車場には、「杖を使ってお登りください」の看板。
何気に杖を使うことを強要されてる。
厭な予感がするので、素直に杖をお借りした。
こんな感じのいい雰囲気の自然歩道が延々とつづきます。
そう、延々と、延々と、延々と…。
入口にも書いてありましたが、陣跡まで40分間、延々と結構な上り坂が続きます。
徒歩20分辺りの風景↓

20分位歩くと、やっと関ヶ原の風景が望める所へたどり着きました。
下界がとても遠くて、見晴らしがいいとは言えません。
いったいどこに陣跡があるんだ、こんな山、武装して登りたくねぇ…杖持ってきて正解だった。
「小早川め、ぜってぇ赦せねぇ」ってな気分になること請け合いです。
もう汗だくだくです。
水筒とタオルは忘れずに用意してから登りましょう。
文句垂れながら30分程登ると、やっと陣旗が見えました。
ラストスパートの崖があります。
結構な傾斜角で、ここを登るのも降りるのも大変そう。
それもそのはず。
↓ここ松尾山は、松尾山城・山城の跡地でした
←↓※クリックすると大きくなります。
自然歩道には、一部石垣が残ってて、↓確かに山城だった面影が伺えました。
この崖地も、もしかしたらその昔は石垣で覆われていたかもしれませんな。
自然歩道の脇には、侵入禁止の道もあり、昔の道なのか、さらに険しい獣道でした。
この狭くて険しい山道を、昔の人は忙しなく登り降りしていたんでしょうか。
地獄です・・・。
小早川陣跡からの関ヶ原の眺め↓
曇っていて視界が悪かったってことはあるにしても、三成陣跡(笹尾山)からとは比べようもない位、関ヶ原が遠い。
これじゃ下でなにがどうなってるのか、よくわかんないわ。
徳川に砲弾撃ち込まれて、やっと今の戦況が理解できたと言っても、別におかしなことじゃない気がするよ。
どのくらい遠いかって、このくらい↓

山頂から采配振るうのは、まず無理じゃないの?
下まで遠すぎる。
伝達にも時間かかりそう。
そういうわけで、ここにいる時点で、やはり小早川秀秋本人は戦力外大将だったことが解りました( ̄∇ ̄;)
まぁ、17~8歳じゃ、どうしたって今も昔も若造だ。
それよりも、小早川家臣団が徳川派と三成派に分裂して、すったもんだしていたと妄想ふくらます方が楽しい。
そういう小説あったとしても、小早川ネタじゃ多分読まないかもしれないけど…。
関ヶ原における寝返り組筆頭・小早川くんのお話は、まぁ、放っておくにして(どうであれ、やっぱり気分が悪い)
小早川陣跡は結構広くて静かです。
見晴らしは笹尾山の三成陣跡には劣ってしまいますが、
木のテーブルとベンチがあって、休息するにも、お弁当するにも適してます。
人出もそう多くなく(入口でUターンしてしまう人が多いようだ。なにせ40分)、
静かでのんびりした雰囲気がいいですよ。
私が行った時には、お弁当食べている人もいました。
そんな訳で、ちょっとした遠足気分を満喫できるおススメスポットではありますが、大人になると、ここに来るまでが結構しんどいです。
運動不足を自覚されている方は、ちょっと有酸素運動しといた方がよさそう・・・。
我が家では、私よりダンナの運動不足の方が深刻なことがわかりましたm(__)m
さて、小早川陣跡を下り(帰りはサクサク帰れる。が、途中、やっぱり蛇に遭遇した)、資料館へ~(o^∇^o)ノ
ダンナの希望で小早川陣跡と、前回行きそこなった歴史民俗資料館は絶対押さえたい。
と言う訳で、リトライ関ヶ原・その1 っす。
その1って、ええ、私、また関ヶ原へ行く気満々です ( ̄Д ̄)ノ オウッ
小早川くんとこ行く前に、通りがかったから寄った、福島正則陣跡↓
予定には入ってなかったんですが、小早川陣跡の途中にあったのと、福島正則って、実は地元のご城主様だったってこともあって、素通りも失礼かと。出生地もすぐ隣の市らしいし、縁と所縁はあるんですけど、地元での認知度は酷く低い武将だったりします。
つか、知ってる人いるんだろうか?
知ってるが蓋をしているんだろうか?
ここいらのじいちゃんたちから、名前出た事ないと思うぞ?
戦国無双では、加藤清正と一緒にレギュに格上げされたんだが…。
愛知県のあま市には、明治まで「正則村」という村もあったので、もしかしたらそこが出生地だったのかもしれないですな。
無双で遊んでるあま市民(つか、旧美和町民)は、ご存じなんだろうか。
ちなみに正則君は、秀吉子飼いの家臣で、賤ケ岳では一番槍で活躍した好戦的な猛将でした。
三成君とは相性がめちゃくちゃ悪かったような説が有力でして、もちろん関ヶ原では「アンチ三成」の東軍でした。
どうやら近江人気質と尾張人気質は、相容れないモノがあったようですねぇ。
なんかちょっと解るような気がします・・・( ̄∇ ̄;) アハハハ
そうそう、尾張に誇りを持っているご高齢者の中には、三河にも露骨にヤな反応される方が結構います。
尾張人のくせに三河人(家康)の腰巾着に率先してなり下がった正則君は、その時点で地元からスポイルされる運命だったのかもしれません。
尾張地方、現代になっても、なかなか面倒な空気が漂っておりますよ…。
かなり慣れたけどね。
まぁ、なんかそんな感じで、地元民からなんだか理不尽な扱いされている気がしますが、そういう武将がおりましたよ、と…。
さて、無駄話が長引いてしまった。
樹齢800年の大木を拝んで、関ヶ原第三の男、小早川くんとこへ行ってみよう♪(* ̄∇ ̄)/
松尾山(小早川陣)の入り口↓
小早川君の陣取った松尾山の入口駐車場には、「杖を使ってお登りください」の看板。何気に杖を使うことを強要されてる。
厭な予感がするので、素直に杖をお借りした。
こんな感じのいい雰囲気の自然歩道が延々とつづきます。
そう、延々と、延々と、延々と…。
入口にも書いてありましたが、陣跡まで40分間、延々と結構な上り坂が続きます。
徒歩20分辺りの風景↓

20分位歩くと、やっと関ヶ原の風景が望める所へたどり着きました。
下界がとても遠くて、見晴らしがいいとは言えません。
いったいどこに陣跡があるんだ、こんな山、武装して登りたくねぇ…杖持ってきて正解だった。
「小早川め、ぜってぇ赦せねぇ」ってな気分になること請け合いです。
もう汗だくだくです。
水筒とタオルは忘れずに用意してから登りましょう。
↓徒歩30分辺りの風景
文句垂れながら30分程登ると、やっと陣旗が見えました。ラストスパートの崖があります。
結構な傾斜角で、ここを登るのも降りるのも大変そう。
それもそのはず。
↓ここ松尾山は、松尾山城・山城の跡地でした
←↓※クリックすると大きくなります。自然歩道には、一部石垣が残ってて、↓確かに山城だった面影が伺えました。
この崖地も、もしかしたらその昔は石垣で覆われていたかもしれませんな。自然歩道の脇には、侵入禁止の道もあり、昔の道なのか、さらに険しい獣道でした。
この狭くて険しい山道を、昔の人は忙しなく登り降りしていたんでしょうか。
地獄です・・・。
小早川陣跡からの関ヶ原の眺め↓
曇っていて視界が悪かったってことはあるにしても、三成陣跡(笹尾山)からとは比べようもない位、関ヶ原が遠い。これじゃ下でなにがどうなってるのか、よくわかんないわ。
徳川に砲弾撃ち込まれて、やっと今の戦況が理解できたと言っても、別におかしなことじゃない気がするよ。
どのくらい遠いかって、このくらい↓
※クリックすると大きくなります

山頂から采配振るうのは、まず無理じゃないの?
下まで遠すぎる。
伝達にも時間かかりそう。
そういうわけで、ここにいる時点で、やはり小早川秀秋本人は戦力外大将だったことが解りました( ̄∇ ̄;)
まぁ、17~8歳じゃ、どうしたって今も昔も若造だ。
それよりも、小早川家臣団が徳川派と三成派に分裂して、すったもんだしていたと妄想ふくらます方が楽しい。
そういう小説あったとしても、小早川ネタじゃ多分読まないかもしれないけど…。
関ヶ原における寝返り組筆頭・小早川くんのお話は、まぁ、放っておくにして(どうであれ、やっぱり気分が悪い)
小早川陣跡は結構広くて静かです。
見晴らしは笹尾山の三成陣跡には劣ってしまいますが、
木のテーブルとベンチがあって、休息するにも、お弁当するにも適してます。
人出もそう多くなく(入口でUターンしてしまう人が多いようだ。なにせ40分)、
静かでのんびりした雰囲気がいいですよ。
私が行った時には、お弁当食べている人もいました。
そんな訳で、ちょっとした遠足気分を満喫できるおススメスポットではありますが、大人になると、ここに来るまでが結構しんどいです。
運動不足を自覚されている方は、ちょっと有酸素運動しといた方がよさそう・・・。
我が家では、私よりダンナの運動不足の方が深刻なことがわかりましたm(__)m
さて、小早川陣跡を下り(帰りはサクサク帰れる。が、途中、やっぱり蛇に遭遇した)、資料館へ~(o^∇^o)ノ