徳川東照宮(太田・徳川町)
どうもおはようございます、りんですm(_ _)m群馬県太田市徳川町396徳川東照宮(とくがわとうしょうぐう)社号標徳川義季公館址碑鳥居手水舎拝殿拝殿彫刻本殿境内社創建は寛永21年(1644)、徳川氏の発祥の地である世良田に東照宮が勧請されたのを機に、徳川郷領主・正田義長が邸内に東照宮を建立祭祀は正田氏が行い、住民の参拝も正月と4月17日のみ許可されていたそうです。明治5年(1872)、邸内社であった東照宮の社地を徳川郷に寄進明治40年(1907)、徳川郷の神社4社を合祀大正3年(1924)、徳川郷内の永徳寺(東照宮より約500m南)より権現堂を移築し拝殿とする御祭神は徳川家康公こちら、徳川氏の祖と言われる徳川(得川)義季の館跡に鎮座していまして…創建の由来は、徳川氏8代・徳川親氏は南北朝の戦いにおいて南朝方に与したので、室町幕府の新田氏残党追捕に遭いこの地を離れざるを得なくなる。徳川郷の生田隼人が親氏の出国の際、銭一貫文を餞別とし、親氏より徳川郷の領地を預けられる。天正19年(1591)、生田義豊が武蔵川越で徳川家康に謁見し「新田徳川氏系図」の提出と「生田」から「正田」への改姓を申し付けられる同年11月、徳川郷に朱印地400石と徳川義季の屋敷跡を正田氏が所有する事を認められると、こんな感じですぐ近くにある世良田東照宮に比べるとこじんまりとしていますσ(^_^;)日光東照宮の奥宮を移築した世良田と、元は邸内社であったこちらとは規模の違いを比べるのはおかしいのかもしれない…でも、拝殿は永徳寺にあった家康を祀っていた権現堂を移築したものであるので、あながち無関係な建物ではないのだ( ´ ▽ ` )ノでもね…徳川家康が三河から出たのは周知の事実ですが、その祖先が新田義貞の四男である徳川(得川)義季であるのは疑問を呈したくなる。源氏の名門であった新田氏の支流である得川氏の末裔が、松平氏の娘婿になって松平氏を継いだという事になってるらしいが…まぁ、祖先が怪しく系図をでっち上げてる戦国大名も枚挙に暇ないですけどね(;^_^A世良田東照宮にていただけました尾島かるた看板徳川会館東照宮の東隣に、徳川会館なる建物がっ∑(゚Д゚)名前的に格式高そうですが、見た目がどう見ても集会所(;^_^A