今年1月3日、中央学院大は快挙を果たしました。
見事堂々3位フィニッシュ、そして原動力の一つになったのがエース区間「花の2区」で日本人トップの好走を見せた木原 真佐人くん(当時3年)でした。
彼の箱根駅伝デビューは、2006年に行われた「第82回」。重要な1区に抜擢され、堂々の区間賞を獲得。
この快挙に解説の瀬古さんも思わず「木原くーん、おめでとう。キミの名前さー、知らなかった。ごめんなさい。今日で覚えますから、素晴らしかった。」と言わしめるほどだった。
そして去年に行われた「第84回箱根駅伝・予選会」でも圧倒的な力を他校の選手に見せ付け、日本人最高タイムを塗り替える58分40秒の走りで、チームに貢献し箱根駅伝への切符を導きました。
しかし、木原くんはエースとして自分自身の走りに満足は出来なかったようです。
「順位やタイムよりもいかに自分の走りをするかなので、その点から見ると、えーまだまだ満足できないかなという風には思います。」
川崎 勇二監督は木原くんのこんな一面を明かしてくれました。
「みなさんの知らないところでやるべき事を、たぶんチームの中で一番やっているんじゃないですかね。練習にしても。」
木原くんには今年こんな思いがあるそうです。
それは今年の箱根駅伝9区で区間新を出した中央学院2大エースの1人だった篠藤 淳くん(山陽特殊製鋼)が抜けた今、彼の中ではもっともっと強いエースになるという思い。
中央学院大の大エースとして真価が問われた今年11月の全日本大学駅伝。
エース区間である2区・6位で襷を受け取ると竹澤 健介くん(早稲田大)・宇賀地 強くん(駒澤大)の2位集団に迫る快走を見せ、見事区間賞を獲得(柏原 竜二くん(東洋大)と同タイム)
しかしまだまだ木原くんは自分の走りに満足できませんでした、なぜなら・・・。
「自分はエースという立場なので、やはりそこの(前に選手が見える)場面だと、えーっ前の集団に追いついて次のランナーに渡すべきだったんですけど、出来なかったです」
次の舞台は最後の箱根駅伝、記録よりエースの走りを。それが木原 真佐人の箱根駅伝。
「もうひと回り大きく成長したいなと思います。」