機動戦士ガンダムSEEDが好きだ。



 初めて触れたガンダム作品は、小学生の頃に見たエンドレスワルツで、その後少しして機動戦士ガンダムSEED(以下、種)の放送が開始された。


 正直、本編の話については一割も理解していたのかは怪しいが、種の最終回は泣き震えながら視聴していた記憶がある。


 今なお一番好きなMSは?と聞かれれば「ストライク」となり、好きな作品は?と聞かれれば「種とXとGレコとF91」となるのである。


 特に種シリーズは、MSをケレン味レベルのハッタリたっぷりに描いてくれるので、技や武装ではなく「MSそのもの」を楽しめる部分が他にないポイントと感じている。また本編ではストーリー上もキラ・ヤマトを抉る展開が続き、個人的にはその流れも好きなのだ。



 そんな私が『機動戦士ガンダムSEED FREEDOM』(以下種フリ)を鑑賞した。とりあえず4回観た。小説も上巻を2周した。その上で大きく感じた3つのことを語っていきたい。





1.種以降のキラ・ヤマト



 これまで感じていた疑問点が1つある。それは


 「キラ・ヤマトというキャラは進歩したのか?」


 という点だ。



 種本編を通じて、キラ・ヤマトという人物は自らの出自と人が持つ差別意識に直面した。


 その後に機動戦士ガンダムSEED DESTINY(以下、種デス)にて、再度戦火に身を投じるわけだが、取った行動はカガリの想いを汲んで場を収め、ラクスを守りその願いに応えるために戦うというものが大半だった。キラが種デス内で自分の意志で行動したようには、到底思えないのである(シン・アスカやアスラン・ザラという人物の成長や変化も描かれているからかも知れないが)。



 種フリ中盤の「君らが弱いから」という台詞にも見られるように、種の砂漠あたりで揉めてた頃のキラと本質で変わっていなかったのである。


 フレイを失ったキラは「僕が守ってあげなきゃいけない人なんだ」と後悔を漏らし、ラクスを失ったキラは「望むものを何一つあげられないから」と自責の念(っぽい恨み言のような何か)を言い放った。



 「種デスのキラは達観してそう」とはよく言われる事だが、本作ではそうではなかったことを示してくれたように思える。彼も自分の採った選択に対して、常に悩むし、その結果に追いかけられているのだ。その点において、種以降のキラ・ヤマトの心理について描かれたことは、過去作も含めた作品としての厚みの担保に一役買ったのではないかと感じる。


 ※個人的には、メソメソしてるキラが好きなのだ。



 最終的にキラは自らアルテミスに突入し、ラクスを救出し愛を伝えることになった。キラと深い関係になった人物といえばもう一人、フレイ・アルスターが思い起こされるが、最後に交わした会話は「後で」というものだった。


 結果としてキラとフレイは再び会うこともなく、キラの感情は宙吊りになったままとなるのだが、種フリでは最期を迎える前に間に合うことができた。


 これでキラ・ヤマトという人物は、過去の清算と未来に向けた決意表明をするに至ったのだ。これはキャラクター目線での進歩と言っていいだろう。


 20年前に一応の完結を迎えた作品の主役が、今尚進歩しているという事が、当時の視聴者としては単純に嬉しかったのだ。





2.その他のキャラクター、戦闘シーンなど



 個人的に、種フリはファンサービスとしての側面が強い作品であったように感じられた。


 「ニコルの戦術」でアルテミスを突破させるシーンや、追跡する艦の後方にあらかじめミサイルを置いておく戦術バジルール、「出撃!インパルス」のアレンジを背景に戦闘を繰り広げるスーパー"ミネルバ"級戦艦、種デスのOPを再現するストライクフリーダム弐式……など、挙げていけばキリがない。


 方々で俎上に上がってはいるが、シン・アスカという人物の描かれ方や活躍も、種デス当時の評判を思えば面目躍如・汚名挽回と言えるだろう。


 個人的にお祭り作品は好きなので、こういった過去作オマージュも踏まえた「こういうのが見たいんだろ?」的な目配せは、喜んで受け入れられた。
















……だけで済むわけがない。

明らかにやりすぎだ。





3.望んだ展開と選ばれた未来



 前述のとおり、お祭り作品は好きだ。20年近く待たされた作品なら殊更、その展開への好意的な見方は強くなる。

 それでも尚、看過し難い点が2点あった。


①ステラ・ルーシェ

 種デスで命を落としたステラ・ルーシェは、その最終盤にシンの意識内にて「シンに会いに来た」ことを伝えた。CE世界にオカルトもないとは思うが、それでもステラはシンをこれから見守り、会いに行くだろうし、シンはそれを知っても知らずも、彼女のことを背負って生きていくだろう。

 それをあたかも悪霊の類のように描くのは、種デスでの扱いを踏まえるといかがなものなのだろうか。彼女には、どこまで行っても悲しい生体兵器であってほしいのだ。


②ムウ・ラ・フラガ

 持ちネタを天丼してはいけない。本編では奇跡として扱われた「不可能を可能に」する行いを、特技のようにお出しされると、種デスの場面すらも笑いどころだったかのように思えてしまう。

 というか、ローエングリンやタンホイザーよりも出力の高そうなものを跳ね返せるとは到底思えない。



 ……とこのように、個人的には受け付けない演出・展開が大きく2点見られた。
 恐らく他にも不満点はあるだろうが、大まかにはこの程度だ。

 巷では同監督作品の「クロスアンジュ」みたいで良かった、などという意見もあったが、勘弁してほしい。私は「ガンダムSEED」を観に行ったのだ。スタッフの持つカラーだけで、作品の雰囲気を捻じ曲げることは到底許されない。


 だが一方で、種フリの賛否を問われた際に、私に「否」という結論を出させるには程遠いほど、この2点は些末な問題に過ぎないのだ。


 確かに自分の想像していたものとは違う部分もあったかもしれない。その上下にかかわらず、作品の内容は観る者の想定とはズレが生じるのが常なのだ。


 私にとっては「機動戦士ガンダムSEED FREEDOM」という作品が、無事始まり無事終わったこと、そしてその中に先述のキラの心情や各キャラの活躍が描かれていたことが、ただ嬉しかった。

 おそらくだが、当初の発表どおりに本編終了の数年後の映画公開では、このような雰囲気にも、ましてや観る側の受け止め方にもならなかったのではないだろうか。


 20年モノの追っかけとしては、たとえ想像していたものと違っても、望んでいた展開が少しでもみられた事に感謝しか無い。いささか以上に甘すぎるかも知れないが、今はその点に尽きるのだ。


 銀幕でキラ・ヤマトが曇り、答えに辿り着くまでを共有できた事が、何よりも得たかった未来だったのだ。今は少しでも早い円盤の発売と、MR魂 運命スペ2の予約成功を祈るばかりだ。