今日は睡眠薬のせいか

 

午前中ボーっと過ごしました。

これではだめだと思い、

午後はリハビリの先生と一緒に

別の棟にあるコンビニまで

歩いて行って帰ってきました。

 

ハアハアはしたものの、

まあまあ早いペースで歩くことができましたチョキ

体力は少しずつついてきたなと

実感できました。

続けていこう!

 

さて、今日はこの治療をするに至るまでの経緯を

書き綴ってみたいと思います。

 

ちょうど1年前の2019年7月、

会社の健康診断を受けました。

前日、右後頭部に「いたいっ」って声をだしてしまうほどの

痛みを感じてて、疲れもあって、かなりしんどかった覚えがあります。

 

健康診断をうけたその日に、その医療機関からお電話があり

「血球がかなり低いです。紹介状を送りますので

すぐに行って診てもらってください」

と言われ、びっくり。

 

自分でも2019年5月くらいから

見覚えのない大きなあざができたり

なだらかな坂道でもハアハア言ったり、

息苦しさがあって眠れなかったりと

なんとなくおかしいなと思っていただけに

”これはなにかある”と思い、

すぐに大きな病院の血液内科を受診しました。

2日後のことです。

 

レントゲン、採血、CT、など各種受けたあと

先生の見解は

「ほぼ骨髄異形成症候群で間違いないでしょう」

と、聞いたこともない病名を言われ、

「より詳しく診るために骨髄検査を行うので

明日来てください。」

その後、簡単にこの病気の話を聞きました。

 

その時に聞いた話が

「このままほっといたら生存が約5年、白血病になる可能性もある」

「助かるには骨髄移植しかない」

「早い段階で抗がん剤治療をはじめる方がいい」

「家族にきてもらってください」

 

と、このようなことを矢継ぎ早に説明されました。

えらい病気や!と心の中は、不安でいっぱい。

その先生は淡々とこの話をされ、同情の余地もない感じで

とても冷たい印象を持ちました。

 

その時の衝撃は今でも忘れられません。

 

いきなりのことで、自分では受け止めきれず、

すぐに一番信頼している人(Rさん)に電話して聞いてもらいました。

泣き虫の私は、話すうちにどんどん涙がでてきて止まりません。

泣きじゃくりながらも話し、

「私もなにか方法を探すから」

と言ってもらって、やっと少し落ち着きました。

 

その後、次の日の骨髄検査を受けるため

予約をとってもらい、帰りました。

次の日、骨髄検査(マルク)を受けるため、再び病院へ。

すごく痛い人がいるようですが

その時は心の方が痛かったため、

通常の痛みはそんなに感じませんでした。

 

結果はやはり「骨髄異形成症候群」

そして、この日は骨髄移植について話がありました。

「年齢的にもギリギリ若いし、今なら出来る!」

という話でした。

 

ただ、移植をしたらどうなるかという話には疑問が残り

どうしても納得ができませんでした。

なぜそんなリスクを負ってまで移植をしないといけないのか

他に方法はないのかと、聞けば聞くほど怖くなり

疑問は募るばかり。

 

そのうち、家族にもきてもらい

私の一番信頼している人(Rさん)にも来てもらい

同じ話を一緒に聞いてもらいました。

 

先生曰く、

「まず仕事の整理をして、来週にでも入院して

抗がん剤治療をはじめていきましょう」

と。

 

頭の中はパニックのまま

会社の上司に報告し、

家族にも報告し

帰ってきてくれた娘と一緒に入院に必要なものを

買い物もしました。

 

そんなとき、私の疑問に向き合ってくれたRさんが

関西でMDSで有名な先生を探してくれ、

その先生のセカンドオピニオンを受けたらどうかと

言ってくれました。

 

そしてそのことを主治医の先生に告げると

偶然にも主治医の先生の師匠だったようで

「どうぞ受けてください。その先生はお忙しいでしょうから

時間がかかるかもしれませんね。」

と言われ、書類を作って下さり、すぐに送りました。

予約がとれたのは、約3週間後。

その話を主治医の先生に告げると

「それまで3日に1回来て様子をみておきましょう。」

と言われたのですが、またここでも疑問が。

すぐにでも抗がん剤治療を始めた方がいいと

言われていたのも関わらず、

そんなに待つこともできるんだ!ん!?

 

これは、私がこの病気のことを何もしらないから

先生の一言一言に疑問が沸くんだ。

まず自分の病気を知ることから始めよう!

 

と頭を切り替えました。

そして調べまくったのです。

 

続く。

 

明日も皆様が健やかでありますようにもみじ