第十一章 白衣の風師は砂嵐を巻き起こす
続
「これはどういう状況なんだ?」
花城、南風、半月と一緒に取り残された太子殿下が、ぼんやりした様子で呟く。
「悪くない状況だよ」
「悪くないかな?」
「うん、悪くない。風師が手を引けって言ったのは、兄さんのためだよ」
満足げに言う花城に続き、南風も口を開く。
「そうです。この件についてあなたは首を突っ込みすぎです。あとはもう帝君のところに行って告発するだけですから、あなたはもうこれ以上関わらないでください」
「裴将軍が原因なのか?」
「そうです。あなたは今回のことで完全に裴将軍を敵に回しましたよ」
南風の言葉をまったく気にしてない様子で、太子殿下が笑った。
「どのみち一人くらいは敵に回すだろうと思ってたからね。それが誰かは大して重要じゃないような気がするな」
そんな太子殿下に、南風が眉間にしわを寄せながら裴将軍を敵に回すという事がどういうことなのかを説明している。
説明を聞くうちに眉間を揉み始める殿下に、花城は「心配しなくてもいいんじゃないかな」と声をかけた。
「裴茗という人はかなり傲慢だから、陰険な手口は使わないはずだ」
花城の言葉に、太子殿下が「じゃあ風師は?」と尋ねる。
「風師が私に関わるなと言ったのは、つまり彼女が責任を持って告発に行くということじゃないのか?だったら彼女が代わりに裴将軍から恨みを買うことになるんじゃないか?やめよう、やっぱり彼女を呼び戻そう。南風、君は風師殿の通霊口令を知っているか?」
「心配ないですよ。裴将軍はあなたに手を出す度胸はあっても、風師には手を出さない。風師はあなたより若いですが、あなたより人受けがいいですから」
南風の物言いに、花城は「ハハッ」と笑った。
「風師には後ろ盾がいるから、当然人受けはいいよね」
花城の言葉に、殿下が不思議そうにまた尋ねる。
「君が言ってるのは、彼女の隣にいたあの黒衣の女性のことか?私が見たところ、なかなかの人物だったけど」
「いや。でもあの人は確かになかなかの人物だね。風師と同じく『風水雨地雷』の五師の一人のはずだ。敵に回さないようにすることをお勧めするよ」
殿下があまり関わらないよう、花城はやんわりと忠告する。
太子殿下は「同感だ」と答えると、地面に落した笠を拾い上げそれをきちんと背負った。
「君のその格好、もしかしてあのお二方にここまで追われながらずっと戦ってたのか?」
「そうですよ。ずっと戦ってたんです」
「本当にお疲れ様」
南風の肩をポンポンと叩き労っていた殿下が、急に思い出したように「扶揺は?」と口にした。
阿昭の正体が小裴将軍だとわかった時から、扶揺の姿は見えなくなっていた。厄介事に関わりたくなくて急いで逃げたのだろうと、花城は鼻で笑う。
その時、突然殿下と南風が声を揃えて「善月草!」と叫んだ。
三人は急いで皇宮に走ると、善月草を摘み取り、半月を花城が見つけた陶器の壺に収め、そのまま商人たちの待つ砂漠へと戻った。
毒に冒されていた男も歩けるようになり、半月古城ではぐれた商人たちも無事戻り、太子殿下の表情に安堵の色が浮かぶ。
別れ際、少年が太子殿下のところに駆け寄り、こっそりと囁いた。
「兄ちゃん、聞きたいことがあるんだけど」
「どうぞ」
「兄ちゃん、実は神様なんだよな?」
少年の言葉に、驚きと嬉しそうな表情を浮かべる太子殿下を、花城は優しい目で見つめる。
「俺、兄ちゃんが法術を使うところを見たんだ!でも安心して。誰にも言わないから。本当に兄ちゃんのおかげだよ。兄ちゃんがいなかったら、俺はあの真っ黒な鬼兵士たちに蹴り飛ばされて坑の底に落ちてたもんな。帰ったら廟を建てて兄ちゃんだけを祀るよ」
胸を少し叩いて「すっごく大きなやつ」と言う少年に、花城の心に懐かしさが込み上げた。
昔殿下に救われ、そして誰にも負けない宮観を建てると誓った頃の自分が重なる。
「それは本当にありがたいな」
嬉しそうに笑う太子殿下に、花城も笑みを零す。
太子殿下たちは隊商と別れを告げると彼らとは反対の方角に向かって歩き、縮地千里を開いて菩薺観へと戻った。
菩薺観へ入るなり、殿下は淀みない動きでゴザを取り出し床に敷くと、その上に横たわった。
花城もその隣に座り、頬杖をつきながら死体のように横たわる殿下を見つめる。
「私たちは何日ここを離れてたんだ?」
「せいぜい二、三日ってところかな」
花城が答えると、殿下が大きなため息をついた。
「たったの二、三日なのに、どうしてこんなに疲れてるんだろう」
へとへとの太子殿下を労りたい気持ちに襲われつつ、花城は菩薺観にいるもう一人を一瞥する。
太子殿下もその存在に気づいたように、「あれ?」と口を開いた。
「南風、どうしてまだ報告に帰らないんだ?」
「なんの報告です?」
「君は南陽殿の神官だろう?二、三日もずっと帰らずにいて、君のところの将軍が捜してるんじゃないか?」
「うちの将軍は今、殿を空けていますから、俺のことなんて気にしてませんよ」
帰る様子のない南風に、花城は心の中で舌打ちをする。その横で、「わかった」と言いながら、太子殿下が立ち上がった。
「残るんだったらそれもいいだろう」
「何を始めるつもりですか?」
尋ねた南風に、太子殿下がにっこりと微笑む。
「食事を作ってあげるよ。君を少し労おう」
それを聞いた途端、南風が顔色を一変させ、二本の指を揃えてこめかみの辺りに当てた。
「殿に戻って用があるので、俺はこれで失礼します」
「ちょっと、南風、行くなって。そんなに急用なのか?今回は本当にお疲れさ……」
「本当に用があるんで!」
そう叫んで、逃げるように菩薺観から飛び出していく南風を、花城は満足げに見送る。
「彼はお腹が空いてないみたいだ」
またゴザに戻って座り直した殿下に花城が口を開こうとした瞬間、「パンッ」と扉が開き、また走って戻ってきた南風が入口のところに立っていた。
「あなたたちは……」
「私たちがどうかしたのか?」
並んでゴザの上に座ったまま顔を上げる二人を、南風は口をぱくぱくさせながら指さし、それからしばらく黙り込む。
「また戻ってきますから」
「歓迎するよ」
(二度と戻るな)
にこやかな殿下の隣で冷たい顔をする花城にちらりと目を向けてから、南風は扉を閉めて立ち去って行った。
わざとらしく首を傾げた花城と同じように、殿下が腕を組みながら首を傾げる。
「本当に用があるらしい」
そう呟いてから太子殿下が花城の方へ顔を向けると、にこにこしながら口を開いた。
「彼はお腹が空いてないみたいだったけど、君は?」
「僕はお腹が空いたな」
花城も満面の笑みで答える。
その言葉に太子殿下はまたにっこりと笑うと、立ち上がって無造作に供物卓を片付け始めた。
「わかった。じゃあ、君は何が食べたいのかな、花城?」
太子殿下の優しい声が、花城の全身に電流のように走る。
いつから殿下は気づいていたのだろう。もしかしたら、花城が思うよりもっと前から「血雨探花」だと気づいていたのかもしれない。しかし太子殿下の態度は、いつも「三郎」としてありのままを見てくれようとしていた。
殿下が呼ぶ「花城」は、他の人に呼ばれるよりもずっと温かく優しい。そこには人々が花城に対して抱く畏怖も嫌悪も全く感じられなかった。
驚きは一瞬で消え、嬉しさが花城の中に込み上げてくる。
花城は思わず笑いを漏らすと、でも……心の中と呟いた。
「僕はやっぱり『三郎』って呼ばれる方が好きかな」