​最近、感じる事



私は36歳にもなって

未だに母親との確執に縛られていて

時々、思い出してしまう


法的に縁を切っていて

関わることはないのだけれど


母の誕生日や母の日は

凄く切ない気持ちになってしまう


これでもまだマシで

自分の中で折り合いはつけてきた


母に会いたいとか

そんな事は思っていないし


仲良くしたい訳でもない


ただ、愛されなかった自分が

価値がない気がして悲しくなる日がある


そんな気持ちになるのは決まって

虐待事件があった日だ


愛されなかった子供の気持ちが

わかってしまうから

どうしても辛くなってしまう


悲しいことにそれは毎日のように

目にしてしまうので


残念ながら悲しくなってしまう日が

多い現実が更に辛くする


治療をしてでも

子供を望む人が多い世の中で


命を無駄にする人がこんなにも居る


親になるには覚悟が必要だ

自分を犠牲にして後回しにする覚悟


子育ては決して簡単ではない

キラキラもしていない


可愛いだけではない

自分では何もできない小さな命を

守らなくてはならない


理想通りにはならない事だらけだ


自分の

思い通りにならないからと言って


叩いていい訳でも

放置していい訳でもない


勝手に産んでおいて

思ったより大変だった、なんて

許されていいはずがない


虐待した親は

二度と子供が産めない法律が欲しい


だけれど、それでは

少子化が進みすぎてしまうから


そんな法律が出来る事はないだろう


幸せになれないベビー達は

どうか親選びを間違いませんように


私の友達には

着床出来ない子、凍結胚が出来ない子

苦しんでいる子がいる


素敵な子で、素敵な夫婦なのに

どうしてだと歯痒くなる


こちらが胸が苦しくなるほど


母になることに焦がれながら

折れそうになる心と必死で戦っている


不妊治療をしていると

一般的には知る事のない時期に

妊娠判定をする事になる


化学流産なんて言葉は

治療者にしかわからない言葉だろう


願って願って宿った命は

必ずしも全てが誕生出来る訳ではなくて


悲しい結果になる事がある


私にはその悲しみは

想像することしか出来ないけれど


きっと私の想像よりも

はるかに苦しいことなのだろう


経験したことがないから

着床出来ず悩んでいる友達がいるから


こんな風に思うのかもしれないけれど


着床出来る事を

教えてくれたんじゃないかと思っていて


諦めないでねって言っているように

感じてしまうのだけれど


でも、そんな風に思うのは

やっぱり私が経験していないからだろうか


虹のすべりだい

確かそんな名前の話しがあって


お空の国にはベビーたちが沢山いて

そこから誰のもとへ行くか決めるらしい


行く場所を決めたら

必要なものをリュックに詰めて


虹のすべりだいを滑るそう


それはとっても長くて

すごくすごく時間がかかるらしい


でも、時々忘れ物をする子がいて

途中でお空に戻るそう


天使ママになった人たちを

沢山救ったお話しらしいのだけれど


私もその話しに救われた1人だった


私のところに来てくれるベビーは

きっと私に似て

とってもマイペースだろうから


リュックに

荷物を詰めるのが遅いのだろう


そんな風に思う事で希望を持てた


妊娠して

初めて知った事なのだけれど


お腹の中に出来てすぐのベビーは


お母さんからの栄養ではなくて

卵黄嚢と言うお弁当箱を

持っている事を教えてもらった


あくまで私の予想でしかないけれど


虹のお話しのリュックとは

卵黄嚢の事なんじゃないかと思った


だから忘れたら戻ってまで

取りに行くほど大切な物だったのかも


そんな風に思ったら


食い意地の張っていない

私に似た息子は


リュックに何を詰めたらいいのか

わからなかったから

こんなにも時間がかかったのかも


コンビニでカゴを持ったまま

ずっと悩む私と同じ


なんて考えては、愛おしくなった


世の中には

理不尽な事が沢山ありすぎるけれど


どうか愛される場所へ

全てのベビーが行けますように