​ネグレクトをされた子供が親になれる?


私はネグレクトされていた

いわゆる虐待児です


現在36歳になる

私の幼少期時代には


ネグレクトなんて言葉は

存在してなくて


虐待って言葉も

まだ珍しかったような気がする


ネグレクトとは

育児を放置されてしまう事で


簡単に言えば必要な世話を

してもらえない感じだ


私は母に褒められた事がない


抱きしめてもらったり

頭を撫でてもらったりした事も


手作りの料理を食べた事も

一緒に寝た事だって


授業参観に来てもらった事も

運動会を見てくれた事も


みんなが当たり前にしてる事の

ほとんどを経験していない


そもそも母は家に居なくて

長い時は2ヶ月くらい顔を見ない


そのせいもあって

おままごとが何をしているのか


サッパリわからなかった


私の中のお母さんの記憶は

いつも怒っていて


背中を向けられていたので

目が合わなかった


だから大人になるまで

お母さんの顔を思い出せなかった


ある日、学校で


私のお母さんと言う

題材の絵を描く事があって


私は何を描けばいいのか

わからなかった


先生に相談してみても


いつものお母さんを描けばいいよ

お料理したり、遊んだり


なんて言われてしまったから

更に困ってしまった


仕方がないから

想像で描いてみる事にした


キッチンに立って

エプロン姿を描いてみた


そしてフライパンも描き

お料理をしている風にしてみた


でも、困った事に顔が思い出せない

どんな目だっけ?口だっけ?


どんなに思い出そうとしても

浮かんでこなかった


ただ、子供ながらに

別人を描くわけにはいけないと


ニッコリ笑った目と口を描いて

誤魔化す事にした


すると、その嘘の絵は

コンクールで大賞を取ってしまった


表彰されたり、学校に飾られたり

なんだかとっても褒められた


飾る期間が終わり

絵が返ってきたときに絵を見て


なんだか凄く悔しくなった


いつもの優しいお母さんが

凄くわかる絵だね

お母さんの料理が大好きなんだね


そんな風に褒められていたが

コレは全部、嘘だ


私は嘘の絵で賞を取り

嘘をついたまま褒められたんだ


モヤッと黒い感情が

心の中をいっぱいにしていった


帰り道で泣きながら

絵をビリビリにやぶいた


ウチのキッチンに母は立たない


エプロンだって持っていないし

フライパンだって持たない


ニッコリ笑った顔は見た事がないし

私は誰を描いたんだ


そんな風に悔しくてたまらなかった


学校で必要な物は盗んだし

給食も盗んでいた


ランドセルはないまま卒業したし

クレヨンはずっと憧れ続けた


それは中学になっても同じだった


そんな私が

ネグレクトと言う言葉を知ったのは


10代後半になってからだった


事実を知った時に

私はとっても苦しくなった


母はネグレクトしていたんだ

その現実が受け止めれず


メンタルが崩壊してしまった


自分が愛されていなかったんだと

知ってしまった時に


どう処理していいかわからなかった


母にとって

私は本当に不必要だったんだと


理解する事が出来なかった


だから私は

みんなから可哀想だと言われたんだ


やっと点と点が線になり

家族の話しをした時のみんなの顔が

その意味が、理解できた


不妊症である診断が

中学2年になる頃に出されていたし


虐待の連鎖が怖かった私は

極端に子供を産む未来を嫌がった


だけどそんな私も

結局は不妊治療をする事を選んだ


それは夫に出会ったからで

夫を父親にしてあげたい気持ちと


実は心の奥底にあったんであろう

親になりたいと言う気持ちを

呼び起こしてくれたからだと思う


虐待されて育った子供の

約7割が虐待の連鎖をしてしまう


とんでもなく恐ろしい

研究データが実際に出ている


当然、私だって

その可能性を持った1人だ


妊娠出来た今でも

正直、産むのが怖いところもある


7年かかった不妊治療の間に


自分が抱える子供に対する恐怖とも

向き合ってきた


カウンセリングに行ったりもした


でも、特に何かが変わった

なんて事はなくて


母のトラウマを乗り越えれたか

と、聞かれれば


全く乗り越えれてはないだろう


そんな中で

唯一、母と違うと思えた事があった


それは私には頼れる人が

たっくさん居ると言う現実だった


困った時に

手を差し出してくれる人が居て


私がどうしようもなくなったら

叱ってくれる人も居る


ただ話を聞いてくれる人も

抱きしめてくれる人も


私の周りには沢山守ってくれる人が

居るんだって事に気付いた


母は駆け落ちしていたから

頼れる人がほとんど周りに居なかった


きっと親子だって

環境が変われば結果は違う


7割が連鎖をしてしまっても

連鎖をしない3割だっているんだって


思えるようになった頃


きっと私は

親になる覚悟が出来ていて


自分なりの子供の愛し方を

見つけていけばいいと思えた気がする


ネグレクトされて育った子供は

心の闇を抱えていて


大きな大きな

感情の欠落をおこしていると思う


だけど、大人になったその先


親元を離れる事が出来た時

どんな生き方をするかで変わる


心の闇は消えないかもしれないし

トラウマだって残ると思う


それでも

生きていかなきゃいけないから


親に与えられた傷を隠して生きるより

傷を癒してくれる人たちの側で


私らしく、私の選ぶ人生を

歩んでいけたらいいな


なんて思っている


虐待児だって愛を教えてもらえれば

きっと愛を持てると信じて


私は連鎖を起こさない3割を目指したい