ハウステンボスから帰宅して
翌々日の7日に、
今年の春に申し込んでいた
「明智光秀の足跡をたどるツアー」の
5回目(最終回)で、山崎の方へ行ってきました。

最初に訪れたのは
公園として整備された勝龍寺城跡

明智光秀の娘玉(細川ガラシャ)の
お輿入れのお城です。

中では、勝龍寺城で新婚時代を過ごした、
玉(細川ガラシャ)と細川忠興の
二人にゆかりの品々の写真パネルと共に、
玉の生涯を紹介していました。

忠興と玉の像
結婚した時は、二人とも16歳。
とても仲が良く、幸せに暮らしていたそうです。

綺麗に手入れされたお庭を散策。

木々が色づき始めています♪

石垣などに転用された石造物
石材不足を補うため、
また、お城を守るためとも言われています。

本能寺の変の後、「山崎合戦」に敗れた光秀は、
この城に逃げ込み、最期の夜を過ごし、
ここから退出していきました。
そして妻子がいる近江の坂本城へと向かうのですが、
途中、竹やぶの中で落ち武者狩りに会い、
竹槍に刺されて重傷を負い、その場で自刃して果てました(涙)
光秀は、忠興に援軍を頼みましたが、
信長を尊敬していた秀興は、
それを断ったそうです。
玉は、父を見捨てたという自責の念に悩み、
信仰への道に進んだといわれています。

紅葉がとても綺麗!
知らない間に秋がやって来たのですね。

今回の昼食は、珍しくお弁当でしたが、
これが、意外にも美味しかったです。
昼食後、山崎へと向かいます。

妙喜庵(みょうきあん)
この庵には、国宝の茶室「待庵(たいあん)」があります。
待庵は、日本最古の茶室建造物であると同時に、
千利休が作ったと信じうる唯一の現存している茶室だそうです。
(阪急 山崎駅前にあります・・・車窓からの写真)

いよいよ天王山トレッキング(秀吉の道)の開始です。
秀吉と光秀による山崎の戦いで知られる天王山。
神戸から京都へ行くときは、
何時も天王山トンネルを潜りますが、
山に登るのは初めてです。
舞台となった天王山は、
気軽に登ることができる標高約270メートルの山
と言うことだったのですが・・・

最初から階段が続きます(滝汗)

宝積寺(ほうしゃくじ)
天王山が山崎の戦いの舞台となった時、
宝積寺に 秀吉の本陣が置かれました。

三重塔(重要文化財)

秀吉 出世石

寺額には大きく「天王山」と書かれています。

マタマタ上り階段が延々と続きます。

青木葉谷展望台
見晴らしのいい展望台に到着!
ちょと一休み^^

「秀吉の道」陶板画
ハイキングコースの6ヶ所に設置された陶板画は
秀吉の天下取りの物語を解説しています。

山崎の合戦
光秀は、諸武将に援軍を頼みましたが、
彼らは、本能寺の変の後に信長の遺体が見つからなかったので、
信長は未だ何処かで生きているかもしれないと思い、
みんな、信長を恐れて助けてはくれなかったのです。

山崎合戦の地の石碑

十七烈士の墓
禁門の変(1864年)の時、
戦いに敗れ天王山中で自刃した
隊長真木和泉守以下十七名の眠る墓です。
※天王山は、幕末の禁門の変でも知られています。

自玉手祭来酒解神社(たまてよりまつりきたるさかとけじんじゃ)の横にある
神輿庫は、板倉形式では日本最古

山崎城の井戸跡

山崎城の天守閣跡
山崎の合戦で勝利した秀吉は、
ここに山崎城を築城。
大山崎を城下町としました。
やっと天王山の頂上です。

最後の陶板画です。
下りに向かい、
途中来た道と違う道を通ります。

山崎聖天(やまざきしょうてん)
江戸時代には、大阪商人の熱い信仰を得ていましたが、
幕末の禁門の変で全焼。
明治になってから復興しました。

住友吉左衛門友信が寄進した大灯籠
今回の天王山ハイキングは、
急な坂や階段がずっと続き、
高さ270mを、ちょっと舐めていました(苦笑)
結構きつかったです(滝汗)
明智の足跡をたどるツアーは今回が最終回ですが、
1回目と2回目がコロナで中止になり
3回目から始まって、
2回目は、先日(11/28)比叡山へ行ってきました。
折しも、「麒麟が来る」で比叡山焼き討ちが放映された頃。
説明を聞くのにも気合が入りました。
そのお話は、次回に・・・

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