神戸新聞社のバスツアーに

「インスタグラマーと行く!神子畑選鉱場跡と口銀町並み散策」

というのを見つけました。

1年くらい前に、神戸新聞旅行社のバスツアーに参加した時

神子畑選鉱場跡の前を通って以来、

一度訪れてみたいと思っていたので、

早速申し込みました。

「インスタグラマーと行く」というのにも

ちょっと興味があります。

インスタ映えがする写真の撮り方を教えてもらえるかもと。







今回のツアーの趣旨は

明治・大正時代に播磨と但馬を結んだ産業道路「銀の馬車道」を辿り

昔の産業に触れること。








「銀の馬車道」の発着点だった姫路市飾磨区の赤れんが壁

飾磨津(姫路市)と生野鉱山(朝来市)をつなぐ日本初の高速産業道路で

1876年に完成し、約40年間鉱石の運搬などに使われたそうです。








赤れんが壁は、馬車道で運んだ鉱石などを

船から積み降ろす前後に集積した物を置いた跡地に当たる場所に立地。

明治20年代後半から30年代前半に造られたとみられ、

県は「明治の雰囲気を伝える象徴的な存在」として保存を決定しました。








飾磨港から集積場まで船で運んでいた運河










いよいよ神子畑(みこばた)へ・・・




神子畑鋳鉄橋 (みこばたちゅうてっきょう)

パリのエッフェル塔を作ったエッフェルの設計だそうです。

神子畑鉱山で採鉱された鉱石を、

生野の精錬所へ運ぶために作られた「鉱石の道」

この時に架けられた5本の鋳鉄橋のひとつで、

国の重要文化財に指定されています。

明治18年の架設で、日本最古の鋳鉄橋。








神子畑選鉱場

現在は鉄筋コンクリートの基礎構造物だけが残っています。








選鉱場の上下を結んでいたインクラインの跡

写し方が下手だったので、

いまいちレールの傾斜が出ていません(^-^;

ひとつ上の画像を参考にして下さいね。

結構急な傾斜になっています。









インクラインで運ばれてきた台車を

方向転換させていた所。








1円電車

鉱石を運ぶために作られたのですが、

人用のも運行されていて、乗客数を把握するため、

運賃を一人一円にしていたことから

そう呼ばれていました。








ムーセの元住居

ムーセは、生野鉱山開発に貢献したフランス人技師








郷土記念物 神子畑のサルスベリ








選鉱の最終工程の脱水や濃縮が行われていた

ろ過装置

直径30mのものは、百尺シックナーと呼ばれていました。








頂いたパンフの一部をスキャンしたものですが、

上から見ると、規模がよく分かります。







 クリック! 拡大画像 

やはり、パンフの一部のスキャンですが、

詳しい地図を見ると、

全体がよく分かると思います。



神子畑選鉱場跡(←クリック!)









生野町口銀谷へ・・・




昼食は、芒種 (ボウシュ) で。

古民家カフェです。








前菜とご飯が出てきて・・・








次は、まな板の様な板に

不思議な感じのものが乗っています。








これって何???

そう思っていると、海苔が出てきて

手巻き寿司なのだそうです。

楽しい趣向で、ちょっと真似たいとも思いました(*^-^*)








雑貨屋さんも併設されていて

随所に素敵なフラワーアレンジメントも・・・








もうひとつ・・・








紅葉の落ち葉が

そろそろ秋の終わりを告げています。








ランチを終えて、

ボランティアガイドさんと歩いている時

風情のある小屋を発見!








蔦が紅葉しています♪








生野書院

材木商の邸宅(大正時代)を改築したもの。

今は資料館になっています。








生野橋 欄干 親柱


銀の馬車道で一番の難工事だったのが

市川下流に橋を架けることでした。

でき上がったその橋は、

生野から遠く離れているのにも関わらず

「生野橋」と名づけられました。

その二代目の親柱がここに移設され、保存されています。








旧生野警察署(元一区公民館)

明治19年、地元の大工が

異人館をまねて建てたのだそうです。








教徳寺

塀や石段の両サイドにカラミ石が使われています。


カラミ石とは

江戸から大正時代にかけて

生野鉱山で精錬された鉱石の残りカスの塊を成型して

屋敷の土台や側溝、塀などに利用していました。

とても重いものなんだそうです。








旧生野銀山職員宿舎

大正、明治社旗、昭和中期、明治後と

4棟の建物が保存展示されています。

生野銀山の上級菅史用官舎でした。








三菱マークがあります。

生野銀山は、国の管轄から皇室財産に。

後に三菱に払い下げられたのだそうです。








屋根にも三菱マークが。

昭和48年に閉山になりました。








昭和中期の官舎の中。

懐かしいものが沢山あります(*^-^*)

我が家にもあった左側の冷蔵庫は、

お客様があるときしか氷が入りませんでした。








東日本大震災支援の為の薔薇 絆








そうだったんですね。

生野とご縁があったのね。








この日は、12月1日。

未だ紅葉が残っています(*^-^*)








生野クラブ

明治19年、大山師の松本林右衛門の邸宅として建てられ

有栖川宮熾仁親王が宿泊された部屋も現存。

昭和31年に三菱が買い上げ

企業の保養施設・迎賓館として活用するようになり、

現在は㈱SUMCOが管理し、

「生野クラブ」の名称で職員に利用されているそうです。








屋根下と軒先には

防災や家屋の格式をあげるための

卯建(うだつ)があります。








会所

下の新しい木で出来た蓋をを開けると、

山水の排水管があります。








口銀谷銀山町ミュージアムセンアー

生野を代表する2軒の旧家、旧浅田邸と旧吉川邸があり、

こちらは、旧吉川邸

屋根には生野瓦が葺かれています。








そして、こちらが旧浅田邸















庭にある井戸には

カラミ石が使われています。








庭から見えたトロッコ道

大正9年、市川沿いに

鉱石輸送の為の電車専用道が建設され、

昭和30年まで使われていました。








生野まちづくり工房 井筒屋

生野の町家の伝統を色濃く残しています。

江戸時代、生野銀山では、

一般の旅人の宿泊はご法度でした。

ここは、公用で代官所をを訪れた人の為の御宿だった所。








姫宮橋から見た市川とトロッコ道

所々壁に穴が開いているのは、

川の水の勢いを和らげる為なんだそうです。








反対側はこんな感じ。

トロッコ道の向こうに見える建物は

先ほど行ったまちづくり工房








水路橋

トロッコ道から撮った写真。

ボランティアガイドさんの案内で、

トロッコ道を歩きました♪








旧海埼病院

明治20年頃の建物。

当時の面影を残す貴重な建物だそうです。



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この他にも沢山の写真を撮りましたが、

長くなってしまったので、

この辺でお終いにします。



「インスタグラマーと行く」・・・

確かに、インスタグラマーだという若い女性が随行していました。

けれども、みんなと一緒に写真を撮りながら観光していただけ。

一体、何の為に付いてきたのか、

少々疑問に思ったものでした(苦笑)