昨日、大きな精神的な断捨離が起きて、実際にいろいろ生活の見直しもしたせいか、ものすごく軽い。

「甘えられない」ということ。
砂糖の摂取で、感情を感じないようにして「いるのではないか。
砂糖に依存することで、ぎりぎりまで「頑張って」いるのではないか、と
気づいたことで、それを見つめるためにも、3日前から砂糖だちを始めている。

もしかして、昨日、ヨガの最中に起こった気づきは、砂糖をたっている効果もあるのかもしれないと、今日になって思う。

おそろしく、おなかがすいている朝。
食を勉強している友人いわく、おそろしくおなかがすく時間が、人を健康にしているらしい。

砂糖をぬいて、小麦粉もやめようと思ったのは(小麦粉は少し食べてるけど)、最近悪化していた腰痛を楽にしたかったからだ。
腰痛の原因に「腸」というのがあり、砂糖と小麦は腸に悪い、ということを言う人がいて、それではじめたのだ。


昨日の大崩壊で、思った以上の効果が出て、腰はまだ重いけど、信じられないくらい、楽になった。

「やりたい」と思っていたことも微妙にかわってきている。
駆り立てられるように「やりたいこと」にまっしぐらだった私。
その集中力、すごかったのかもしれないなと思う。
それでも「足りない」と思い続けていたんだから、「思い込み」はすごい。


負けたっていい。損してもいい。
まだ、心の底から、すっきり、そうは思えないけど、少し、負ける自分も許し始めている。

そういえば、3年ほど前、大きな仕事をおろされたとき、ものすごい敗北感を味わった。

でも、あのとき、腰痛は驚くほどなくなった。
「負けたくない」が「頑張り」になり腰痛になっていたのかな、と思う。
あれは、人生でトップくらいの「挫折感」を味わうことだったけど、そのおかげで、だんなちゃんと知り合えたし、今になってみれば、道しるべになる出来事だった。


やっぱり、「チャンス」は「ピンチ」の顔をしてやってくる。

「不幸」は「幸せ」への道しるべだ。