やっと、痛みはまだ残っているけれど腰を曲げずに真っ直ぐ立って歩けるようになりました。
今回もヤバかった。
新しく低周波治療器を購入した。
でも今日届く予定なので間に合いませんでした。
それにしても毎日1時間くらいやってる腰痛体操や筋トレ・テレビ体操は何だったのでしょう…
本当につくづく嫌になります。
これは私のネガティブな意見ですけれど、ポジティブな人なら、毎日体操しているからこれくらいで済んだって考えるのでしょう。
家族の協力はたったの2日間。
この2日間の夕食にお弁当を買って来てくれたのと、その日の昼食弁当を自分達で用意すること、ゴミを捨てて来てくれたこと、お風呂掃除(浴槽のみ)をしてくれたことでした。
全て私が切にお願いしたことだけでした。
部屋・トイレ掃除、お洗濯・アイロン、お弁当作りは一切せず…自分のタオルを交換することもしない。
そして仏壇の花の水を変えるとか、お茶をお供えしてくれるとかは一切ない。
あーあ情けない。
腰を曲げ、フーフー息をして痛みを堪えていたとしても家事は自分からは申し出てくれない。
変な話、夕ご飯のお弁当を買って来てもらうことさえ、自分の分だけ買ってくれば良いと考えていたようだ。
ましてや私の分のお弁当までは最初の日、どうせ副反応だから食べられないと思ったと言っていました…前回はゼリーしか口にできなかったので。
でも、私の意見くらい聞いてくれても良くない?
だから、これは夫や娘が具合が悪くなってもいつも通りあんたらの好きなコテコテの油ぎった食べ物でも良いのだな…
嫌いなおかずを出しても、食べられなくても下げてしまえは良いのだな…と心の中でどす暗くなっていく。
「痛み」は完全に人の感情を破壊させ、そして家族の愛情などは日々の生活の中で醸成されるものではなく、自分さえ良ければ良いご都合主義人間を作っていく場所ということが良くわかった。
これは自分の家族に対する愛情の掛け方の裏返しかも。
自分はきっと義務感だけで家庭を守って来たのだな…義務感があっただけでも良かったね
私の身体が身動きできなくなったら誰も家族は助けてはくれないと確信しました。
やっぱり毎日ゴロゴロを許されてる家政婦だったのだなと。ゴロゴロの対価で給料の要らない家政婦。「それを幸せに思え!」って考えられてる家政婦。
毎回腰痛になる度に考える案件。
チャンチャン