最近、置き碁の棋譜ばかり漁りだしては並べているりくのらです
前田陳爾先生の置碁検討録が大好物。
置碁検討録〈上〉 (1978年)
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中、下巻もあります。
先生のお名前は陳爾と書いて 「 のぶあき 」 と読むんです。
これって普通に読む漢字でしょうか?
わたくし、ずうっと読めなくて脳内で ( ちんじ先生 ) とお呼びしていたのですが、
失礼ですよね…
だけど読めない漢字や英単語を脳内で勝手読みして済ますことってありますよね。
言葉を覚え途中の小学生なんてそればっかりですよね。
同じ置き碁でも、プロ棋士同士の対局や、こういう ↓ 強豪アマチュアとプロの置き碁は
黒番の打ち方がちがう。
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実力に大きな開きがある指導碁の置き碁の特徴は、
した手の黒さんが、
あの、言葉は悪いんですけど、翻弄されると言いますか、
いいようにやられると言いますか、
勝手に転ぶといいますか、
もう涙が出ちゃう
並べて見ますと、なんだか、黒は、
白が良くなるように、良くなるように、と打って行っているようにすら見える。
白が打ってきたところは、受けなきゃ大変なことになる気がして受けちゃうし、
受けてばかりじゃ駄目だ!と一念発起して手を抜いて大場を打てば、
両ガカリされたり、封鎖されたりして盤上を逃げまどう羽目になるし、
必死に逃げていく途中で周りの白ばかりがなぜかどんどん美しい形になっていくし。
囲碁には 「 調子で打つ 」 という表現がありまして、
例えば辺にひとつだけ打ってある石から開いて安定させたいなという時に、
ただ単に開いて打つのは 「 調子で打 」 ってない、単独ですが、
開きたい石の逆側から相手に迫って、相手が受けたのをこっち側から受ける形で、
受けつつ開く、ふたつ以上の目的を達成しつつもともと打ちたかった所に打つ、
こんな感じのが 「 調子で打つ 」 です。
なんて解説してますけど、これはなかなか高度なテクニックでして、りくのらはできません。
棋譜を並べていて 「 なるほど、これが調子で打つというものか 」 とふむふむするくらいです。
囲碁は黒白代わりばんこに石を置いていくので、
一着で複数の目的に適う手が打てれば、目的ひとつの手を打つよりも有利なんですね。
あ、王手飛車取りってこういう感じですか?
え、ちがいますか?
置き碁の白は、この 「 調子で打つ 」 を多用します。
黒が、こうやって受ければ至極普通、悪くないはず、と勉強した手を打ちますと、
ほいきたチョーさん待ってたホイ、といい感じに受けられちゃって、
あっ、弱かったはずの白石がなんだか立派な姿になってしまっているぅ… と悲しくなるわけです。
それからヨセね
置き碁の白のヨセること、ヨセること。
置き碁の黒のヨセられること、ヨセられること。
本来のヨセの姿はね、
白があちらをヨセれば、黒はこちらをヨセ、
黒がこちらを受ければ、白はあちらを受け、というように
大きい場所から順番に整然と黒白の境界線が定まっていくもの、のはずなんですけど、
置き碁の黒、した手は、白からヨセられてきたところは受けなくちゃヤバイ気がするし、
なんとか手番が回ってきても、
大きい場所がわからないから、10目くらいの手が残っているのに2目くらいのところを打っちゃったりね。
そして手を抜かれちゃったりね
もう、涙が出ちゃう
と黒の哀しみを味わいつつ、白の技を見覚えようと今日も置き碁の棋譜を並べております。