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メンヘラブログ

いつか強くなれます様に

なんとなくブログを始めてみる事にしました、普段の生活で思った事や普通じゃ吐けない想いをここに綴れたらと…
基本1日何回か投稿できたらなと…
不愉快にさせてしまう場合もあるかと思います、ご容赦ください。



自分について軽く自己紹介でも…

都内に住む会社経営21歳です。
男です。
趣味はバイクと車で、ドライブやカスタムがとにかく大好きです。

ここまでは至って普通の人間なんだと思います。

ここからはありのままの自分を綴ります。
賛否両論あると思いますが覚悟の上です。
長くなるかもしれませんが時間に余裕のある方はお付き合いください。

単刀直入に言えば、私は精神疾患を持っている、俗に言う メンヘラ という人間です。

私は小学校入学から中学卒業まで周りにいじめられて育ってきました。
教科書を隠されたりやってもないことを私のせいにされたりハブにされたり…
生まれつき体が色白く『ロシア人』や『白人』と呼ばれてた事もあります。
担任からのいじめもありました。


そんな周りと一緒の高校に行ってもまた同じことになるだけだ…と思い知り合いが1人もいない自宅から少し離れた高校へ入学しました。


高校では友達にも恵まれずっと欲しかった彼女ができ不自由のない生活を送れました、いい3年間を過ごしたと思っています。


高校を卒業し、専門に入りましたが授業に追いつけず中退…
そんな中高校生から続けていた大手の会社でフルタイムのパートで採用してもらいフリーターで頑張っていました。


そんな中友達の紹介で1人の女性と知り合いました。(以下Aさんとします。)

Aさんは顔立ちも良く私とは違い裕福な家庭で育ってきた、簡単に言えばお嬢様の様な感じです。

この方と付き合ったことから私の精神状態がおかしくなっていきます。

Aさんとは8ヶ月程お付き合いしてました。

当時私が一人暮らしをしていたのもあり、頻繁にお泊りに来るようになり付き合って間もないうちに結婚を視野に考え二人暮らしをする事になりました。

もちろん最初は幸せで円満な付き合いをしてました。不満すらなかったです。
自分にこんな可愛い彼女ができて勿体ないし幸せだな…と。

ですがお互いを知っていくうちにすれ違いが多くなりました。
もちろん付き合いの上での喧嘩などたくさん経験してきましたし覚悟の上でした。
ところが今までの女性とは違ったこと、
それは喧嘩をして私が1で言うと10で返してくるようなタイプです。

もちろん相手にも意見や考えがあるのは承知しています。
ですが喧嘩はどちらかの意見、考えを一方的にぶつけるのではなく互いの言い分を交わえるものだと私は考えていました。

違う環境で育ってきたからこそ考え方や価値観が合わないのなんか当然で合う方が珍しいとずっと思っています。

そんな一方的な喧嘩を繰り返していくうちに次第に私はおかしくなっていきました。

食欲はなくなり、体重は減少、物に八つ当たりしたり、ここ何年も泣いた事などなかったのに泣く事が多くなりました、顔もやつれていき持病のアトピーも悪化してボロボロになっていく一方でした。


そんな中で精神科に受診したのも彼女の勧めでした。
担当医はすぐに病名など出してもらえず薬を処方して定期的に通ってくれ。それで終わりました。


その中でも付き合いはしていました、毎日が喧嘩なら流石に別れていたと思いますが、喧嘩しても1ヶ月に2回、3回くらい、彼女のダメなところもありましたが良いところも沢山ありました、それを思えば別れる事など考えにありませんでした。


ですが喧嘩をすればするほど自分を追い詰め弱い自分が嫌になっていきました。


そんな彼女も理解を示してもらえず終いには冷めた、別れたい。と…
今思えばその時に別れていればまだ軽症で済んだのかなと思います。


それでも別れたくなかった私は必死に彼女を止め変わろうと毎日に必死で頑張っていました。

それでも状況は何一つ変わらず最終的には信頼していた友達に裏切られ強制的に別れさせられたんです…


共通の友達が心配して自宅まで駆けつけてきてくれて、たくさん泣きました。
『辛いよな、なんでこんな思いしないといけないんだよな…』と優しい言葉までかけてくれました。

それでもバカな私は死にたいと思ってしまったんです。
友達の目の前で精神科から処方された薬を一気に服用しそれをさらにお酒で押し込む始末。

記憶が曖昧なんですが意識が朦朧としてきて友達が必死に名前を呼んでくれていたのを覚えています。

次に目が覚めた時は激痛で救急車の中でした、何故だか全身が溶ける様に痛く暴れたり暴言を吐いていたのは覚えています。


次に目が覚めた時は病院でした。
病院でも同じ状況で見かねた先生が鎮静剤を注射し、そこからまた眠りにつきました。


まぁ最初の段階で救急搬送された時点で死ねないな…とは思いました。

目がさめると手足腰は拘束されて両腕は点滴だらけ酸素マスクまでされてました。

『ここどこだかわかる?』

『今何時だかわかる?』

病院って事しか分かるわけもなく、聞けば自殺を図ってから2日経ってました。






2日も寝たきりだったんだ…
なんで助けたんだろ…






この2つをひたすら繰り返し思っていました。


これが去年の6月の話です。

今も死にたいと思う気持ちは変わりありません、




どうやったら楽に死ねるだろう。




どうやったら早く死ねるだろう。




常に頭の中にあります、
私の人生にとって結果としてマイナスな事しかなく生きる意味って、生きるって何だろうって考える日々です。


長くなりましたが私の細かい自己紹介です。
今後とも宜しくお願いします。