上矢印🎃ハロウィンのカナダの街中。色々なお店で

お菓子が配られる。みんな楽しそうキラキラ


⬇過去の私指差し

今から20年前、1歳半の長男と妊娠6ヶ月の身重の私は、あっという間に追い出されるように離婚となった。


そういう場合は実家があれば実家に、こんなんになって戻って参りました〜ショボーン

が一般的だと思いますが、私も他にもない一般的に実家に返り咲きした。


いや、完全に枯れ果て、何がなんだか判らん私と、訳の判らん年齢の長男と両親も呆気に取られていた。


えっ?こんな簡単に子供って棄てられるの?しかももうすぐ二人目産まれるのに…


私自身も最大のなぞだった。

息を吸っても肺まで入ってこない。

吐き気がするような、ずっと頭がクラクラして、呼吸全てが溜息になっていた。

夜も息子の夜泣と相まって、殆ど眠れなかった大泣き

欲しかった、経験したかった、幸せな家庭、幸せファミリー。全てが幻となり消えていった。

息子に「パパ」と呼ばせてあげることもできなかった。

娘には、父親を見せてあげることさえできなかった。


毎晩子供を寝かし付けたあとに、とめどなく涙が溢れ出てきた。

この子を産む前に息子と死のうかな。

本気でそんなことばかりが頭をよぎった。


それでも夜が明け、また1日が始まった。

こんな状況でも子育てはしなくてはいけない。現実は厳しかった。

そして、お腹の子も頑張って独りで産もう。

崩れ落ちそうな心を、歯を食いしばって1日を乗り越えていった。

きっと、本当に歯を食いしばっていたのが解る顔だったはず。

24h眉間に皺が刻まれ、溜息呼吸の身重の女。


そして、そんな実家暮らしで、2歳前の息子とこれから生まれてくる赤ちゃん👶で、両親には迷惑を掛けるなおねだり

そう懸念しながらも、なんとか溜息呼吸をして生きている中、実母は私にこう言った。


「あ〜あぁ、折角老後は、ゆっくりと自分の時間を楽しもうとしていた矢先にこれかぁ真顔これじゃぁ、油絵も陶芸もできない。あんた達が出ていくまで、片付けなきゃね。

私「えっだって、まだ息子〇〇も小さいし仕方ないじゃん。」


真顔「自分で撒いた種でしょ!!そんなのこっちは関係無いよ。」


元々こんな事をよく言う母なのは、育てられてきて充分承知していたので、ハイハイ。

仰る通りです!

私が悪いのです。

産んだら出ていきますよ。

そして、私は娘を産んで直ぐに実家を後にして、3人でアパート暮らしを始めた。

でも、この台詞は未だにたまに頭をよぎる程、私には辛すぎた。

誰も頼れない。頼ってはいけない。

どんな孤独も全て私が独りで背負い、この子達を育てなくてはいけないんだ。

そう決意させられた。

この子達と、生きるか死ぬか。

 そう、答えはひとつ。

生きるしか無い。

だって自分の撒いた種だもの。