先日、タイトルが気になり録画しておいた番組を観ることが出来た。
NHKスペシャル宗教2世「神の子はつぶやく」。
もしかしてと思ったのだ。
ビンゴだった。エホバの証人のだった。
ドラマで仕上がっていたが、ここの仲間内での会話の言い回しや勧誘の仕方、考え方、振る舞い、仕組み、よく調べあげた作品と感じた。
私はエホバの証人の2世のはしくれだ。
幼稚園の頃から、母に連れられ高校三年生まで集会に通っていた。
兄達は行かないことを許されたのか、父が許さなかったのか、被害は幼い私だけであった。
長年単身赴任の父は、そういったことに無頓着な面があって母のやりたい放題であった。
今ニュースにもなっているエホバの証人の鞭などによる子供への「虐待」。
私は鞭ではないが、大したことでもないことで母から生尻を布団叩きで叩かれ、頬も往復ビンタされた。
友達や集まりも選ぶよう制限され、むしろ行かないことを母は望んでいたふしがあった。
流行りの番組を観ることを禁じられ、会話に入れず私はクラスメイトから「何もしらないの(笑)?」と学校で言われて恥をかいていた。
「ゲゲゲの鬼太郎」や「キキララ」のキャラクターまで退けられたのは、子供ながらよく理解できなかった。
当時、週に三回も集会はあった。
内、二回は夜だった。当時はうちはどこへ行くにも自転車だった。雨なら徒歩。結構な距離でもそう。
母は集会後、お仲間と残って交流したいので、待ちきれない私が夜道一人で帰宅するのも良しとした。
そのため、私は数回痴漢に遭い、不審者に付きまとわれて卑猥な言葉をかけられ逃げたことがあった。
母にその相談をしても、母は「父に黙っておくよう」口止めしただけであった。何も変えなかった。
父に叱られ、集会に行くのを禁じられる恐れがあったからであろう。私だけが行くのを禁じられたとしても、急に娘が行かれなくなった理由をお仲間にそんな話をしたら自分が責められる。
実の母ながら、母は保身が強く卑怯な人であった。プライドは異常に高いが、実力は伴わずそれに向き合えない弱い人でもあった。
私は学校の行事も制限されたが、私は恥ずかしくて時々破っていた。
信仰心が一切芽生えなかった私には苦痛で仕方なかったが、ドラマにもあったように行くことが当たり前で、行かなければ「自分の居場所がなかった」と感じていた。
そんなことはないのだが、洗脳みたいなものだったのだろう。
私の周りの宗教2世達はどんどん出世していく。神権学校といって課題を与えられたら長老が決めたペアで取り組み、話を作って集会で前に出て、芝居のように発表する事や、洗礼を受ける人、生活を犠牲にして布教活動に時間を費やす人、同じ信仰心を持った者同士婚約する人。
母が愚痴を溢すほど、私には全く信仰心が芽生えず、むしろ芽生えた方が楽なのではと思うほどであった。
やめたきっかけは大学受験であった。
実際週に三回の集会は、定期テストにも受験勉強に差し障っていた。徐々に行くことを減らしていたものの、ある日「勉強が進まないからこのままだと受験に落ちてしまうからやめたい」と母に訴えた。
母は、結婚生活中ほぼ単身赴任で不在の父に家庭を一任されていたので、体裁を保つことを常としていた。そして母は見栄っ張りでもあった。
母のそれは子供達の素行と学業の安定に絞られていたと感じる。私が、宗教で勉強が疎かになって受験に影響が出たら母の立場がない。
実は小学生の頃にも「やめたい」と訴えた時があったが、母はお仲間を連れてきて私を説得し思い止まらせたくせに、この時ばかりはあっさり受け入れた。
ほっとした私だったが、その後の人生にもこの宗教と家庭環境は自分に大きく影響を与えたことを50代にして客観的に見ている。
当時、今さら「世の人」と言われる普通の人達との距離感がつかめず、友人関係でも恋愛でも空回りが続いた。
皆が当たり前のように知ってることを驚くほど知らなかった。
食事前、就寝前のお祈りをやめることに暫く罪悪感を持っていた。
周りとは常に浮いていると感じ、何というか広く浅い当たり前の会話のやり取りが出来るようになるまで何年もかかったと思う。
この頃の苦しかったことは些細な事ではなかったのだと、自分が親になってみても改めて分かる。
いつか、同じ苦しみを持っている方々とお会いして共有できたらと願う。
まだまだ、ここには書けない尋常ではなかったことがあるのだ・・。
頼むから、信教の自由を子供にも持たせてくれ。もうこれは親としての資質であろうとも思う。