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「ほっといてくれ」

「別に・・・」

「うるせー」


思春期ボーイや思春期ガールがよく言ってる。

言わなくても、態度で言ってることもあるし。

顔とか、目つきでも、そう言ってたり。


でも、なんだろう。

無視してほしいわけじゃないんだよな。

無関心でいてほしいわけじゃないんだよな。

放置されたいわけじゃない。


「自分で乗り越えたい」のに

「自力でできるようになりたい」のに、

うまくいかないことも多くって、

頼りたいけど、素直になれなくて、

ただイライラして、八つ当たりしてみたり。


だから「なんかあった?」って聞くんだけど、

そこで「別に・・・」「うるせー」が飛んでくるんだよね。

無視もあるな~



「俺、見てたよ。お前、一人で十分がんばったよ。

そこまで自力でやったんだ。そろそろ俺に手伝わせてくれないか?」

この言葉で心を開いてくれた中学生がいたな。


言葉尻をつかむより、気持ちをつかみたい。

そしたら、話してくれるかもよ。

気むずかしい思春期の心が、こっちの心に映ってくるかもよ。

君の目には、

世界はどんなふうに見えていたのかな?


山や川、碧く澄んだ海。

吸い込まれそうな高い空と大地。


たくさんの行事やお祭り。

夜空に舞い散る花火。


クラブチーム。

劇。コミック。アニメ。


親やきょうだい。

おじちゃん、おばあちゃん。

友だち。先生。

近所のおじさん、おばさん。

知り合いのお兄さん、お姉さん・・・

まだまだあるね




君の耳には

どんな音がきこえていたのかな?


波の音。風の声。木の葉のさざめき。

動物の鳴き声や虫の声。


体育館にとどろくあの音この音。

応援に歓声。拍手。


キッチンから聞こえる料理の音。

たくさんの大切な人たちの声・・・

君の名を呼ぶ声だってね。

まだまだあるよね




君が肌で触れた世界は、どんな感じだったかな?


夜明けのひんやりした空気。

頬をなでる海風。

波しぶき。

糸を引く魚の勢い、そして釣り竿の震え。

足にフィットするシューズの感触。

ボールの手触り。体育館の震動。


抱き合った友だちの肩。


幼い日に感じた、あの安らぎと温もり。


まだまだ・・・



・・・・・・



君の目が最後に見たものは・・・


君の耳が最後に聞いたのは・・・


君の肌が最後に感じたのは・・・



ごめんな



君が最後に守りたかったのは、何だったのかな・・・?




あれから3ヵ月。



君の生き様が示したように、俺もみんなのために

生きてみようと思ってます。





「何考えてんだか、まったくわからん!」


ただでさえ中学生、高校生くらいだと

自分から話してくれなくなるじゃん。

大事なことほど話してくれないと

感じることもあるんだよな・・・


子どもが話してくれるのを待ってるのでは

いかんのではないかなと思う。

大人から声をかけていかないとな、と。


でも、普段から会話のない関係で

いきなり「どうしたの?」「何かあった?」とか

言われても・・・


なら、どうしたら、いざってときに

「どうしたの?「何かあった?」の言葉が

子どもの心に届くのか?



子どもがたわいもない話をしてくる瞬間がある。

大人にはまったく興味のない話。

大人には理解できない異文化(?)の話。

大人にとってはぶっちゃけつまんない話とか、

大人にとっては「時間がもったいない」って感じるような

まとまらない、脈絡のない、わかりにくい話。


でも、子どもは、そんな話を普段聞いてくれる大人に

あるとき、胸の内にしまっておいた「ホント」の気持ちを

思いを、

考えを、

さらっと伝えてくれるのかもしれない。


それまでのたわいもない話は、

いつか本当の気持ちを伝えるリハーサルだったかのように。


つい大人は「今忙しいから後にして」と言ってしまう。

「後にして」って言って、子どもにとって「後」はないんだが・・・

かといって、今忙しいのは本当だから、大人の言い分も

子どもはすごくわかってたりして。

子どもも色々考えてるんだよな~、ときには遠慮もするし

でも、


「じゃ、いつなら話聞けんだよ??」


無言の声が響いてくる。


たわいもない話。

でも、「本音」を伝えるリハーサル、だとしたら

大切な話…じゃね?


しっかり聴いてあげたいな。


「目」を見て、「耳」を傾けて、

「心」を「十分」に込めて、

「聴」って漢字はできてるんだって聞いたことがある。


確かに!


良いのコミュニケーションは、たわいもない話から。




実際の支援を考えるなら、

ADHDだのLDだのASDだの、

診断名つけて、だから何?っていう面もあるような。


不注意です。多動です。衝動的です。

こだわりが強いです。読み書きが苦手です。

計算が苦手です…


で、結局その子本人は何で困ってるのか?


その子の目ん玉で世界を見てみたら、

多動だの衝動だのっつーか、

「親が共働きで、深夜までひとりぼっちなのが

さびしい」だったりするかもよ。


学校で問題起こしてるからって、

障害の特性ってのもあるかもだけど、

「さびしい」が

問題のメイン背景かもしんないし。


なんか、発達障害の診断が付いたからって、

その障害の特性だけからしかその子を語れないのは

やばくね?


発達障害でも、

障害のない子と同じように、つらいことはつらいし、

嬉しいことは嬉しいし、

悲しいことは悲しいわけで。

そういう視点からの判断も忘れちゃいけないんじゃね。


ヒーロー気取って

人助けやってんじゃないんだ。


そうすれば、

存在価値を実感できるけん。


心から流した血は

いつか誰かの心をうるおす

泉になるって・・・


あいつもそんな感じだったのかな。

明るい笑顔で、

誠実さと優しさで、

深く共感しながら、たくさんの人に

尽くしてきたよな。



どうしてそんなに笑顔でいられるのか?


それは、

こっちに笑顔を向けて欲しかったから。

こっちにほほえんで欲しいかったから。



どうしてそんなに誠実で、優しくいられるのか?


それは、

本当は、自分が優しくしてもらいたかったから。

面と向かって、

誠実に関わって欲しかったから。



どうして、そこまで人に尽くせるのか?


それは、

もし相手が自分だとしたら、そうしてほしかったから。

そこまでとことん関わってくれないと、

満たされないくらいに心の穴が・・・


本当は、

相手の中に自分自身を見ていた。


そうじゃなかったかな?



もう十分に尽くしてきたよ。

よく、頑張った。


人に迷惑をかけないように、

正しくあろうと、ギリギリのところで踏ん張って・・・


自分のことより、いっつも誰かのことばっか

優先させてたよな。


まるで、自分のことなんかどうなってもいいって

思ってるみたいに・・・


相手は「お前自身」だったのかな?

「相手」という「スクリーン」に映し出された自分自身みたいな?


誰を見ても、

まるで自分との垣根を感じさせないような、

まるですべてを自分の心に取り込み、

包み込むような、

そんな振る舞いだった。


お前がみんなを大切にしたように、

お前も大切にされる資格があるんだよ。

お前もみんなと同じ大切な人じゃけん。


心を開いて、頼っていいんだよ。

って、

そう簡単には頼れないかもだが・・・


いつでも待っている。

時には頼って欲しいから、

いつまでも待っている。


待ちきれなかったら、

こっちからときどき、お前の心を

ノックしてやるからな(笑)


亡くした人のことを忘れずに、

亡くした人のいない世界に適応していく。


深い悲しみに心を奪われることなく

大切な人のことを思い出すことができる。


そんな日がいつ訪れるかはわからないけど、

その日が必ずくることを信じて、

今は痛みを引き受け、

悲しさを引き受け、

淋しさを引き受け、

そして、怒りを、引き受ける。


もういないという現実を見たくなくて

どれだけ避けてきたことだろう

君につながる

ありとあらゆるものから逃げてきた。

それでも、

自分の心からは

どうしても逃げられなかった。



君の姿がたくさん詰まった、

この心からは、

逃げられなかった。


だから、逃げるのをやめた。

君は、確かに生きていたし、

みんなに示した優しさも、

投げかけた励ましも、

曲げなかった正義も、

確かにあったんだ。


もう目を背けたりはしない。


君の生きた証は

この心に刻まれている。

この心が、

君の、君らしい特性を

受け継いで、

君と一緒に生きていく。


君が生きていれば、

たくさんの人を励まして、勇気づけて、

楽しませていたんだろう。


君ができない分は、

俺が引き継ぐ。


予定がいっぱいつまってて

せかせかしてる大人に、

子どもは話しようとは思わないかもな。


なんにもしないで、ゆったりして、

そんな時間をどこか静かに楽しんでる、

そんな身近な大人がいたら

「この人に話してみようかな」とか

思うのかもしれない。


最初はたわいもない話から。

そんな話も楽しめる。

子どもと一緒に楽しめる。

そしたら、他の話もしてくれるかもな。

どの話にも、その子らしさがにじみでている。

どんな子なのかも、わかってくる。


そのうち、

ムダ時間は、子どもの声が集まる時間になったりする。


ゆったりした気持ちでいると、

彼ら、彼女らの心が、

こっちの心に響いてくる。


楽しみ、喜び、うれしさ、やさしさ、

そして、

怒りの気持ちも、こっちに映ってくる。

じっくり感じ取ってみると、怒りのもっと奥底に、

深い悲しみが、淋しさが、隠れてたりする。


ムダ時間が教えてくれることがある。

ムダ時間が気付かせてくれることがある。


ムダを省くって、大事なことかもしれないけど、

生産性って重要かもしれないけど、

ひょっとして、ムダを省くことは、

子どもの声を省くことになったりもして。

大人の中にある子供心を、

省くことにもなったりして。


忙しい毎日に、どこか「ムダ時間」を作ってみたい。