母は編み物が好きです
去年の5月頃は、編み物をしても目が揃っていなかったり、編み方を忘れてしまったり、閉じ方を覚えていなかったりと、編みたいけど思うように進まない…そんな時がありました。
その時期は、母が『認知症』と診断された頃で、きっと母の頭の中で何かが壊れ、母自身も不安と苛立ちとの葛藤をしていたのだと思います。
そんな母を受け入れることが出来ず、母を取り巻く家族も動揺していました。
家族だけでは手におえない母の言動もあり、家政婦さんに母の見守りを頼んだのもその頃です。
ただ、母は家政婦さんが台所に入り込むことを拒み、結局、編み物の先生という名目で母の編み物の相手をしてもらっていました。
この時の作品は、今年の夏に99歳で亡くなった、母の幼少時に家に奉公していた方のために編んであげたベストでした。
もう、それ以来編むことがないだろうと思っていましたが、こんな作品を作ってくれました
太さが一定でないので、編むのが結構大変なのですが、なんだかんだと一心不乱に編んでくれました。
今はこの色違いを編んでいます。
そして、ついこの間、編み終わったモコモコのマフラーは姪っ子ちゃんにあげたのですが、それを見た姪っ子ちゃん2がまた欲しがったので、クッションカバーの次はマフラーを編むことになりました。
いいか、悪いか、前編んだ記憶が残っていないみたい…
それに編むことが好きだから、苦痛に感じてないみたいです。
ただ、凝り性なので、ずーっと編んでしまうので、歩かせたり、違うことをやらせたりしないといけません。
この冬、どんだけ作品が出来るか楽しみです。
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いつも読んでくれてありがとうございます


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その時期は、母が『認知症』と診断された頃で、きっと母の頭の中で何かが壊れ、母自身も不安と苛立ちとの葛藤をしていたのだと思います。
そんな母を受け入れることが出来ず、母を取り巻く家族も動揺していました。
家族だけでは手におえない母の言動もあり、家政婦さんに母の見守りを頼んだのもその頃です。
ただ、母は家政婦さんが台所に入り込むことを拒み、結局、編み物の先生という名目で母の編み物の相手をしてもらっていました。
この時の作品は、今年の夏に99歳で亡くなった、母の幼少時に家に奉公していた方のために編んであげたベストでした。
もう、それ以来編むことがないだろうと思っていましたが、こんな作品を作ってくれました

太さが一定でないので、編むのが結構大変なのですが、なんだかんだと一心不乱に編んでくれました。
今はこの色違いを編んでいます。
そして、ついこの間、編み終わったモコモコのマフラーは姪っ子ちゃんにあげたのですが、それを見た姪っ子ちゃん2がまた欲しがったので、クッションカバーの次はマフラーを編むことになりました。
いいか、悪いか、前編んだ記憶が残っていないみたい…
それに編むことが好きだから、苦痛に感じてないみたいです。
ただ、凝り性なので、ずーっと編んでしまうので、歩かせたり、違うことをやらせたりしないといけません。
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