今日は姉夫婦がお昼前から実家に来ることになったので、お昼からは解放されました。
朝、父の日なので『お赤飯』を炊いて実家に届けました。
『お赤飯』…この言葉にも過剰に反応する母。
それは、昔からもち米を田舎に住んでいる父の実家とか、父の姉のところからいただくことが多く、ほとんど自分で買ったことがなかったと記憶しています。
ところが、田舎から送ってくるのはいつも古米のもち米だったりして、申し訳ないけど、決して良い代物ではないことが多かったようで…母にとったら、あまりうれしくないもののひとつだったようです。
それで、もち米の出番といえば、『おもち』になるか、『お赤飯』になるか…しか考えられない母は、いつももち米の担当を父に任せていたようです。
そんな状態だから、実家の『お赤飯』の係りは父でした。
それでも、もち米を洗ったり、浸したりするのは母のやっていましたが…采配をふるうのは父でしたっけ。
母が病気になると、『もち米→父の実家』みたいな構図が母の感情を乱すようになりました。
きっと、昔から、快く思ってない感情を理性で抑えていたのが、今はそれが出来なくなったからだと思います。
だから、今更、母の感情を乱す必要もないので、今回は父からもち米を預かり、わたしが炊いて来たのです。
そうすれば、母は特に気を病まずにいられますしね。
その後、母とワンコのお散歩に出かけ、近所を一回り。
そろそろ、姉達が来る頃…実家を出ました。
お昼からでも自分の時間が出来るとうれしい
夕食の準備は我が家の分だけでいいし、実家に近いとは言え、行ったり来たりは結構面倒だったりします。
ひととおり、用事を済ませ、近所を歩いていると、同じマンションの方たちにバッタリ。
私の住んでいるマンションは高齢の方が多く、その方たちはいずれも80過ぎのおばあちゃん。
何故か私も会話の仲間にいつも入れられてしまいます。
しばらく、立ち話をしてしまいました。
で、結局、そのうちのお一人の介助をしながら、帰って来ました。
母が病気になってから、自然に手を差し伸べられるようになったと思う。
弱い人の気持ちに寄り添おうと思うようになった。
人として、まだ母から教わることが出来たことに感謝。
無理やりなこじつけかも知れないけど、母が病気になったことで、教えられてることや、周りの人たちに対する優しい気持ちや、感謝の気持ちに気付かされることが多いです。
母がそうじゃなかったら…
また、違っていたかも知れません。
一度きりの私の人生、『得してる』って思うことにします
そのほうが、幸せでしょ