今日の東京は最高気温22度のさわやかな一日でした。


姉が来てくれるまでの間、母とワンコわんわんの散歩に一緒に行って時間を潰すことにしました。


この頃の母は自分で行動が決められなくなりました。


毎日の決まった行動(動作)なら、ハンコで押したようにそつなく出来ますが、それ以外だと、戸惑い、一歩が踏み出せない不安顔の母になります。


これは『認知症』の症状が確実に進んでいるので仕方ありませんけど、少しでもそんな母の決まった行動(動作)に変化をつけてあげることで、より楽しいものになてくれればいいな…と思います。


例えば、ワンコわんわんの散歩。


いつもなら、すぐ近くの広場からぐるっと近所を一回りするのが母の日課ですが、付き合ってあげる時間があるときは、一緒にちょっと遠出してあげたりします。


これだけで、母の目に入ってくる景色だったり、途中で会う近所の方との立ち話が『脳』を刺激してくれるのではないか…とかすかな期待を持ってしまいます。


医学的なところはわかりませんが、ひとときでも母がうれしい♪とか、楽しい♪とか思ってくれればそれでいいかな。


それでも、戻って来ると、散歩に行ったことを忘れ、また連れて行こうとする母。


うんちが出たことも忘れ、まだしてないから…と、また連れて行こうとすることもしばしば。


だから、必ず母にお散歩から帰って来るとすぐに


おかえりぃ~うんちは出たのかなぁ?と、聞きます。


それを聞くことで、母の要らぬ心配を防いであげることが出来るのです。



それから、夕食の仕度のお手伝い。


お米を仕掛けるのは習慣なので、完璧に出来ます。


しかし、仕掛けたことを覚えていられないので、何度も何度もお釜の蓋を開けて確認をしてしまいます。


その度に


あ、もう仕掛けてあるんだっけ…


と、安心します。


その時は、何も言わないようにしてます。


なぜなら、母は自分で仕掛けてないかも…と思い、蓋を開けるのだから、その時に余計なことを言って、覚えてない…という不安を大きくしたくないから。


この病気の人は、自分が壊れて来ているのかも…とか、なんか頭がモヤモヤしているけど、どうしたんだろう…とか、いつも不安の中にいるそうです。


多分、母の場合もそうであって、いつも不安の中にいるのかも知れません。


だから、自分の知っている(認識できる)人と接することが、自信を取り戻せる時間なのかも知れません。


母には母の思いがあり、不安だったり、底知れぬ恐怖の中で生きているのでしょう。



せめて、わたしに気持ちのゆとりのあるときは、そんな母にそっと寄り添ってあげようと思います。



姉が今日、こんなこと言ってました。


もうお母さんに笑顔が無くっても、気にしないことにする。


あれこれ、気を揉むのを止める。


その気持ちもわかります。


そりゃ、無表情より笑顔かいいに決まってます。


しかし、そんな事に一喜一憂してても、母の病気の場合、一瞬一瞬で気分が変わるし、次の瞬間、覚えてないこともあるのです。


だったら、こちらも、一々動揺することなく、接していたほうがいいかも…って気持ちにもなります。



先が長~い介護です。


のんびりと行かないとね…と、今日は思うのでした。