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先日一冊の本を読みました。











んー、難しい。たしかに、と思うところは沢山あって、



でも自分とは少し違ったり、でもその違いがまた面白い。




この方は多発性骨髄腫で、血液のがんです。




私とは全く境遇もがんの種類も違いますが、




家族というキーワードの中で、色々思い悩むことは


少し似てるような気がしました。







私は死を近くに感じるようになってから、



先に死ぬ辛さと、後に残される辛さ、両方を考えるようになりました。






私の場合、後に残される人というのはまず家族であったり、恋人であったり、友人であったり。



私の死を悲しむであろう、私の両手を広げて抱えている人たち(前ブログ読んでください)のことです。
(きっと他にもいるとは思いますがそれだと話が壮大すぎる)





私は告知を受けた時、私の死を悲しむ人はなるべく少ないほうがいいと思いました。



大好きな彼とこれからも一緒にいることは、将来彼を傷つけることにならないか。


生き急ぐように作る思い出たちは、いつか辛い思い出になってしまわないか。




いつか叶えたい夢や、結婚、出産、子育て、

自分の事を諦めるより、


残酷だと思ってました。




でもこの本を読んでみて、


みんなが辛くなる日をなるべく遠ざけるために生きるのではなく


私が生きていた証を少しでも残すために生きよう。



そしてもうダメな時はそれを受け入れよう。



生きていた証は、なるべく明るいものがいい。


このブログも然り。



私が生き抜いたと思う人生を残したい。


死を受け入れてもらいやすいように、


私に後悔があってはダメだ。そう思いました。




この本にも出てきますが、


死を考えるということは、生を考えることだ。


まさしくその通り。
私は今、自分の死を通して生きる事を考えている。










私は死に際も幸せだと笑っていたい。


彼女は幸せだったとみんなに思って欲しい。




若くして病気になって可哀想に、なんて思われたくない。

そんな悲しい人にしないで欲しい。






 
だから、私は諦めません。

夢も、結婚も、出産も、子育ても

行ってみたい場所も沢山ある。

見てみたい景色も、登りたい山も。

私は病気だからって諦めたりしません。






全ては笑って生きるため、笑って死ぬためです。





ま、死ぬのはまだまだ、当分先でいいかな。







事故や事件が多い世の中です。

がんでもそうでなくても、明日は我が身ですよ。








悔いない人生を。







(本の解釈は色々あると思いますが、これは私の解釈を基づく話です。多分頭が良い人ならもっと違う解釈をすると思います。)