ミーハーだなーと思いながらも、深津絵里の濡れ場に思いを寄せながら、吉田修一の「悪人」を読んだ。







映画のインパクトにも気になっていたが、舞台が福岡三瀬峠から始まり、唐津、長崎など僕にとっても




思い出のある街の描写が気になり、思わず。





ただ、内容は・・・。




朝日新聞の連載小説だったようだが、「いかにも新聞小説」。いろいろ知っている土地が出てくるのは楽しいのだけど、個人的にはもう一つの共感度だった。物語は、性格暗めでコミュニケーションベタなイケメン主人公(妻夫木ね)が思わず殺人をしてしまい、深津絵里と逃避行、という物語を軸に、家族や関係者の物語が重層的につながっていく、という構図なんですが。http://www.akunin.jp/index.html









あ、以下、ネタバレ混じっているので、気にする人は読まないでね。






















結局、リアリティに欠けて、つまらない小説だった・・・というのが僕の所感。




作品のテーマは「どいつがホントの悪人なの?」につきる。そのテーマに不器用ながらも純愛に目覚めた主人公カップルのお話がカバーしているわけです。







物語で特に共感できなかったのが「特にコイツはホントの悪人でしょ」というフラグが立つ男性。映画では岡田将生が演じる増尾っていう、軽薄な大学生役。




「イケメンだけど性格ヤなやつ」っていう典型例だが、少なくとも小説では彼の「悪人ぶり」に全く共感できなかった。理由は「そんなヤツはいねえよ」ってなところでしょうか。







作中、「増尾」は、殺害される女性と直近まで遊んでいた役で、ついでにプレーボーイとして紹介されている。その一挙一動が「こんなやついないよね」としか思えなかった。。例えば、増尾は、自分が一時コロシの嫌疑をかけられたことをもとに、クラスメートを前に、殺害された女性について、面白おかしく状況を語りだすんだけど、いかんせん不自然なんだよね。







作者の意図は、「悪人か善人かの境界線は曖昧だ」ということが言いたかったのだろうけれど。イマイチ暗ーい邪悪さが伝わってこない。現実世界で、「増尾」のような人間が、実のところいないからだと思う。少なくとも福岡には(笑)。







自分と縁のあった女性が死んでしまったとしたら、一人落ち込んで自責の念にかられるのが8割ぐらいの人間だと思う。特に思わないという人もいくらかいたとしても「友達の前で、武勇伝のごとくその死を吹聴する」という人間は、どうしても想像できない。いくら軽い大学生のノリを表現するにせよ、昨今の大学生は良くも悪くもそこまでの異形の笑いを受け狙いでするヤツはいない。その辺の表現が、足りない気がした。







確かに、善悪の境界線は微妙だし、誰でも悪人だし、善人だ、という物の見方はその通りなんだけど、邪悪な人って、あと一歩深く、弱さと残酷さと卑怯のせめぎ合いのようなドロドロした中で生きているはず。プレーボーイはプレーボーイなりに、意外に女性にはジェントルだったりするのよね。そうじゃないとモテないから。むしろジェントルな部分と、女を食い散らかす部分との無茶な整合性を「自分のなかだけルール」で成立させているわけで、そうした「自分ルール」を外部に吹聴するプレーボーイは、実のところそれほどいない(はず)。





映画は違うと思い、なんとなく期待している。縁があれば見よう。