魂の地図と潜在意識の探求家
原田 莉幸(りこ)です
プロフィールは★こちら★
空気を読むことが“当たり前”
周りの空気を読むことで、
「今、この場で何を求められているか」
「誰が困っているか」
「どうしたら場が丸く収まるか」
それを察知して動くことは、ある意味、私の日常になっています。
特に40代、50代は、
親のこと、子どものこと、仕事のこと。
様々同時に抱えている方も多いと思います。
だからこそ、“誰かのため”に動けてしまう。
でもある時、ふと気づいたのです。
私は「気を遣っている」のではなく、
“全部、自分が受け止める前提”
で生きていたのだと。
「私がやればいい」がクセになっていた
現実は潜在意識のパターンが映し出されていると考えます。
無意識に
「相手が我慢していないか」
「彼女は飲み込んでいないかな」
「嫌な気持ちはしていないかな」
を優先していることに愕然としました。
その、ふと思ったのが
トイレで手洗いをしていた時です。
無になった瞬間だったのかもしれません。
あれ?自分が最優先ではない。
「無意識に」
人の感情を必要以上に背負う。
相手の不機嫌まで
自分の責任のように感じる。
本当は相手の課題なのに、
“自分が何とかしなければ”
と思っていたということです。
優しさと自己犠牲は違う
空気を読むこと自体は悪いことではないですし、
周囲への配慮ができる人は、とても愛の深い人です。
ただ、その優しさが「自分を消すこと」になってしまうと、
少しずつ疲弊していたのではないかという視点です。
自己犠牲から生まれる優しさは、どこかで苦しさや我慢を伴います。
「受け止めなくてもいい」を許可する
場の空気が悪くなることを解決する役目だと認識していましたが、
タイミングを見計らったり感情のクッション役になっていました。
境界線を引いているという認識なのですが、
自分が一歩下がっていたことに、気づきました。
長女気質というか、顔色をうかがう癖が、
「私の場合」はエネルギーを消耗しやすい。
全部を受け止めなくていい。
全部を背負わなくていい。
何度も何度も立ち止まって。
気づいたら辞めるというのを繰り返しています。
頑張りていないか観察する
長年、“誰かのため”に生きてきた人ほど、自分を後回しにすることが普通になっています。
本当に些細なことです。
誰かの素敵な言葉を採用しすぎているとか。
周りを大切にするように、自分の心も大切にする。
自分がちょっとしたことで軽くなると、周りの空気まで、静かに変わり始めます。
自分の意識がどんなものか定期的に観察をしながら、立ち止まって見ていきたいと思っています。







