今日はまたまたオリジナルで【ひと(1)に(2)い(1)み(3)】の語呂合わせにちなんで、
「人の生きる意味」などについて掘り下げたいと思います。
(参照:ライフスタイルメディア キナリノのサイトより)
忙しい日々の中で嫌なことが重なったり、体に疲労が溜まってくると
普段はそんなこと思いもしないのに「なんでここにいるんだろう、なんでこんな目に
あいながらここで生きているんだろう」なんて考えが浮かぶことはありませんか?
一度この考えに囚われてしまうと、なかなか頭から離れないものです。
なんのために生きているのかを理解し、生きる目的みたいなものがあると、
きっと毎日がより輝いて充実するはず。そんなふうに思っていませんか?
だから、これといった夢や頑張りたいことが見つからないと
「なんのために生きているんだろう」という疑問に帰結し、
「生きている意味や目的」を探したくなってしまうのです。
身近に、やる気に満ちている人がいるほどに、「自分はどうなんだろう…」という思いが
湧き上がってくるケースもあるかもしれませんね。
自分では答えを出すことが難しい「生きることの意味」ですが
偉人達による名言ではどのように語られているのか、みてみましょう。
"生きることの意味と価値について
問いかけるようになると、我々は狂ってしまう。
なにしろ意味も価値も客観的に実在するものではないのだから。"
出典:ジークムント・フロイトの名言 | 地球の名言
"いくつになってもわからないものが人生というものである。
わからない人生を、わかったようなつもりで歩むほど危険なことはない。"
出典:松下幸之助の名言 420個
"人生の意味はひとつしかない。生きるという行為…それ自体なのです。"
出典:エーリッヒ・フロムの名言 | 地球の名言
"人間が自分で意味を与えないかぎり、人生には意味がない。"
出典:エーリッヒ・フロムの名言 65個
こうしてみると、探そうとすること自体が間違っているような気すらしてきます。
そもそも「有意義な人生」や、「意味のある人生」とはどんなものなのか。
想像できないものを探して追い求めることなど不可能でしょう。
もし、生きていることに、明確な目的やミッション、意味があり、
私たちはそれに沿って生きていかなくてはならないとなったら…
想像しただけで大変ではないですか。
走り過ぎて疲れたら休むとか、人生において少し寄り道することなど
出来なくなってしまいます。
考えたり迷ったりすることさえできなくなってしまいそうです。
私たちはただ「生きている」のです。それだけで十分。
「生きている」ことは、命をもらいそれを維持し続けているということ。
もし意味を探したくなったら、それは心身の疲れによる「休め」のサインかもしれません。
とはいえ、やはり人生の指針として何か意味付けがほしいという方もいるのでしょうか。
誰かのため、何かのため、あるいは自分のためなど、
自分が生きていることを前向きに捉えられるような意味や目的が心の支えになるのであれば、
自分で設定するしかありません。
***
親と喧嘩した時に「誰も産んでくれって頼んだわけじゃない!」とか言いますが、
まさに生まれてくるっていうのは自分の意思ではないだけに厄介ですよね。
でも、何度も言っていますが、ここに生を受けて存在していることって、
確率論だけで言えば、めちゃめちゃ希少なものだということは間違いないのですよね。
そうなると、やっぱり、自分がここにいるということには意味があるんじゃないのかなって
思うのが普通ですよね。でも生きているうちに「あれれれれ〜意味は〜?」となる(笑)
でもよくよく考えると、そこに生を受けた私たちが存在する歴史というのは
その1本しかなくて、もし自分が存在しなければ、存在しない歴史が流れているはず。
それであれば、自分の生きた歴史を見届けることが生きる意味になっている気がします。
未来を描くドラマなどでよくある、時間軸が違えば全く違う自分が別次元で存在している、
という演出。時間軸を移動できるようになれば、そんな違う人生を生きる自分を見に行くことも
できるんですけど、どう足掻いても現実の世界じゃ、この1本しか存在しない。
あきらめて、この1本をいかに太く充実させるのか、細くても美しく生きていくのか、
まぁ本当に、自分次第ってことですよね。
やはり「生きる意味」は「生きる」ことそのものだということですね。
😍フォローしてね😍