おはこんばんにちは〜。変な人代表であるけいちゃんから紹介預かりました、さこです!


特に何語る?て感じだったので、ウォーミングアップがてらみんなが興味津々であろう私の入部秘話から話そうかなと思います🐸


2019年春、私は体育会にもラクロスにもまるで興味がない、グンマーが産んだ色白華奢風の天然記念物でした😆
じゃあなぜ、そんな天然記念物が入部を決めたのか。
それは、、、
〈とにかく友達が欲しかった〉からです。
え、友達が欲しいならサークルでもいいじゃんって思いますよね。
私もそう思っていたのでサークルに入る気満々でした。だけどいざ大学に入ってみたら、心の中のリトルさこが「私っぽいサークルはここにはなさそう」って言ったんです。
それで困っていたら、中高バスケ部の直属の先輩である、なるさん(20卒)が私を女ラクへと導いてくれました。
「女ラクは200人部員がいて、50人も同期ができる」と聞いて、面白い人絶対いる!と確信しました。

面白い人、たくさんいました。

なるみ先輩、私を女ラクに入れてくれて本当にありがとうございました。


そんなこんなで、もはや女ラクしか友達いないみたいな状況になるくらい女ラクでの生活を楽しんでいました。
でもこの4年間は、友達が欲しいという理由だけで入部した私には刺激が強すぎたし、ただ楽しいだけの4年間ではなかったです。

ここからは、そんな私が味わってきた4年間の辛い❗️を共有します。私の辛かったことなんて聞いても何にもならないけど、こんなことがあっても最後楽しかったって言えるんだくらいの気持ちで読んでください😌


辛い①
2年の春〜コロナで自粛期間突入。ラクロスに対するモチベーションダウン⤵️〜

1年生の秋頃から代表に入れさせてもらって、毎日ラクロス鬼ほどうまい人たちと部活できる幸せを噛み締めていました。しかしコロナ禍になって練習ができず、ただひたすらグンマーで3キロランと筋トレと数多くのmtgをする日々…。みんなと離れていて会えないのに、部活に鬼縛られてる感覚が当時の私には辛かったです。


辛い②
2年の夏〜モチベダウンのまま練習再開。人数制限から溢れて代表-サテ間を彷徨う日々〜

コロナで練習の人数制限をされるようになり、たけしさんからくる「明日の練習さこはサテで」的なLINEが毎日恐怖でした。
あまりの恐怖に耐えられず、夜中に、はちさんとあやこさん(22卒)の前で世の中を変えたいみたいな趣旨の演説をしたり、みずきと宇宙の根源について部屋の隅で静かに語り合うなどをして気を紛らわしました😌


辛い③
3年の夏〜リーグ戦メンバー入り!と思いきや突風の如く現れたあいちゃん(22卒)に枠を取られる〜

3年でギリリーグ戦メンバー入り!と一瞬喜んだものの私はメンバーの人たちの劣化版に過ぎず、自分ならではの強みを発揮できずにいました。
そこにサテから現れた俊足変人のニューヒーローが、私のメンバー枠を掻っ攫っていきました。
無事私のメンタルは死亡。あ、枠は取られたけどあいちゃんのことはがちで好きです🎶


辛い④
4年春〜メンバー圏内に入っているのにどっちつかずな状況〜

ユニは14番なのにαで試合に出る自分を少し情けなく思ったりもしてました。たけしさんがよく言う、「3年でリーグに出れてない奴は正直厳しい。」みたいな言葉、痛いほど私には刺さっていたから、これはもはや辛いとかではなく悟りの境地ではあったのかもしれません。
途中からは、「αだとしても自分がやることは変わらないし、楽しんで終わりにしよう」という気持ちを持っていました。
しかし私は、リーグ戦メンバーとして代表に残りました。ちょくちょく試合にも出させてもらって、大好きなこのチームで日本一になりたいと思っていました。


結果として日本一という目標は叶いませんでした。

だけどこの一年私は、スポーツの世界で誰もが本気で思えるわけじゃない「日本一になりたい」という気持ちを持ちながら、日々を過ごせました。
1年生の頃日本一を獲った時の嬉しさとは別に、当事者としての日本一を夢見ることができました。「日本一」を具体的に考え、感じながら生活できることってなかなか出来ない経験だし、青春でした。
私が一年生の時の遺書ワークにこう書いてあります。
「いつか練習が憂鬱になったり、何かに絶望したり諦めを覚えたりする日もくるんだろうなと不安でいっぱいの自分もいます。その時自分がどんな精神状態でラクロスに向き合えるか今の自分にはわからないけど、向き合うことをやめたら私の成長はそこで止まってしまうと思うので、壁を乗り越えようと努力はして欲しいです。」

まるで預言者であるかのように、私は練習が憂鬱になり、絶望し、諦めを覚えました。
女ラクでの辛い出来事を経験する前の私は、多分プライドの高い人間でした。
でも代表に来て、チームに必要とされていない自分を知って、私が持っていたプライドはへし折られました。
これほど惨めな思いをしたことはなくて、逃げ出したくて、自分を認めてくれるサテに行けたら楽かもしれないなと考えたこともありました。
だけど私は辛いながらも、下手くそながらも、周りに支えてもらいながら自分と向き合い続けました。結果、最後は純粋に部活が楽しい、日本一になりたいと思えるほど成長しました。



4年間の中で、頑張ることを幾度となく諦めようとしたけど、諦めなくて本当に良かった。



あんなに辛いことがたくさんあった4年間のはずなのに、楽しかったなって思いながら引退できるのがびっくりです。
それにみんなのおかげで、自分のことがちょっと好きにもなりました。


こうして無事に色黒ゴリら子が完成し、来年からは社会人になります。
この先、日常にこれほどの充実感を感じることってあるのかなって考えます。
わからないけど、こうやって頑張ることが何かあるっていう状況を作り続けようとは思います。
その方が楽しいと思うから!私の人生、こう思わせてくれてありがとうです。



(上22卒さき、下2年ゆきね)
大尊敬&大好きなさきさんとゆきねが母と娘なんてまずその時点でこの4年間幸せ確定演出すぎた!




(左4年はな、右4年わかな、下4年みずき)
楽しい時間も苦しい時間も共有してきたでっかいありがとうを贈りたい人達。




(2022代表)
ラスト一年代表同期の存在は本当に偉大すぎました。そして後輩達は本当に可愛くて可愛くて仕方なかった!




(右3年しお、右4年わかな、下22卒みゆ)
こうして卒業してもヤーマが試合を観に来てくれて、たまに遊べて、学年はバラバラでもこんなに楽しくて大好き!あの時旅行に誘って大正解だった!



(左から4年さい、りん、こゆき、あおば)

こうして近くで遠くで応援してくれてる人がいることを知ってたから頑張れたと思う。本当に感謝😌





(4年同期)
コロナだったり色々大変だったけど、みんなと同期になれたことは神からのプレゼント!どこかで会ったらその時は酒でも酌み交わそう🍶座キャン同期!観光の授業参戦させてくれたり休み時間集まったり、部活以外の時間も鬼充実してたのは君たちのおかげでした。ありがとう🫶🏽




ということで意味わからんくらい長くなりましたが、これで私の引退ブログはおしまいです。
私と関わってくれた全てのみなさまに感謝の気持ちを述べたいと思います。
田舎者でわがままの私と仲良くしてくれて、遊んでくれて、相談に乗ってくれて、ラクロス教えてくれて、本当にありがとうございました。
ここで出会った全ての人が好きでした。


お次は、THE縁の下の力持ち❗️立教の女子ラクロス部の部員に4年間化け続け、尚この部に多方面から貢献し続けた狸(だなも)(みずき)です🍃