吉田クリニック 院長の独語

吉田クリニック 院長の独語

医療関係に限らず日常の出来事についても思うところを書いています

 また今年も1月2~3に両日にわたり箱根駅伝を往路復路とも観戦しました。

 なんで日本人は大学生の、しかも関東地区における大学のローカルな大会がこれほど好きなのでしょうか。それはいろいろな要素があるからですが、いずれにせよ選手はみな小さいころから箱根を走ることを夢見て頑張ってきたのは間違いありません。そして全国では親元から離れ強豪高校へ留学したり、箱根出場のためにわざわざ関東の大学に行ったりするのです。

 どう考えても、それまでの人生をかけて夢のために家族そろってストイックな努力をしてきたことは間違いありません。だから彼らの走りを応援したくなるのは至極当然でしょう。

 ところが今年の復路での出来事です。だれが放したかは知らないが、一匹の犬がコース内に入り込んで、選手が転びそうになりました。彼はこのために足をつって思うような記録がでなかったといいます。

 彼の小さいころからの努力と夢が台無しにされました。この飼い主のペット管理放棄は到底認められるものではありません。けがをしなかったからいいのではないです。彼が今までどのような思いをして、どのような血の出るような練習をして、そしてあらゆる楽しいことを犠牲にしてこの舞台に立っているのかということに思いを寄せれば、この飼い主は人の人生を踏みにじったことになります。

とても悲しい出来事でした。

 悪魔の証明の話の続きです。

 一人目の方は、ご高齢の方でした。しっかりとした方です。ただ金融関係の融資か何かで「認知症でないこと」の証明を「今日中にちょっと書いてきてもらってください」と、某金融機関に言われたそうです。「ちょっと」の診察だけで認知症ではないことの診断を簡単にすることはできません。

 とりあえず日数はかかるが「頭部のMRIをしましょう」ということで時間的猶予をご了解いただき検査を予約しました。後日その検査では明らかな海馬の委縮もなく認知症らしくないこと(それもまだ不安は残るが)の診断書を書きました。

 別の方です。その方は病気があると別会社に出向できないので、その会社からいそいで「病気がなにもないこと」を証明してもらえと言われてきたのです。これもまた「今日中に」「ちょっと診察のみで」の条件がついています。

 区の健診だって胸部レントゲン、心電図、採血、尿検査などがいろいろと行われます。それでも癌などの悪性疾患の有無は別のがん検診を受けないと分かりません。これだけのことは最低限必要なのですが、病気のないことの診断を「ちょっと行って書いてきてもらうよう」と患者さんに要求するこれら諸団体の方々にもご理解いただきたいものです。

 この方の診察はお断りしました。

 病気、例えばガンなどのようなものでも、最新の検査機器などを組み合わせてようやく診断できる場合は少なくないです。見つかればまだいいですが、精密検査でも見落とすこともあり、しかも検査の精度をはるかに超えた早期のものでは「ガンがあっても」検査で引っかかってこないことなどいくらでもあります。それにもかかわらず「病気がないこと」を、しかも「今日中」に、しかも「ちょっとの診察」だけで、100%保証が期待される診断書などかけるわけはありません。

 それにしてもそんな病気がないという陰性証明ですが、ないことの証明を「悪魔の証明」というそうです。

 こんな書類を十分な検査もしないで診察だけで書いてしまう医師がいたとすれば、それはドラマのスーパーマンかあるいは「占い師」かもしれません。まあ患者の求めに応じるのもいいですがサービス過剰の医療はあまりお勧めできません。

 自分の仕事はいろいろと証明書や診断書をかかされる仕事なんだなといつも思います。しかもその重みは極めて重くその人の仕事などに影響を及ぼしますね。

 例えばインフルエンザ検査で陽性にでれば、その人はインフルエンザにかかっていることになり「就業や通学を禁ずること」も可能です。

 しかしながらその逆は極めて証明が難しいです。

 つまり「何も病気にかかってないことを証明してくれ」と依頼されることがたまにあります。

 昔の話ですが、しかも「今日中」に証明してくれと急ぎのようなのです。病気の診断も難しいですが、病気がないことの証明はほぼ不可能です。「ちょっと」の診察だけで病気でないのが分かるなら、数多く行われている健診やら人間ドッグやら各種検査など必要ないことになりますよね。

 

 その昔、自分も学生時代、木造の4畳半風呂なしアパートに数年間住んでいました。まあ社会人ではなく学生時代なので収入はなく仕送りだったので事情は異なるでしょう。でもまあ実家まで1時間半くらいで行ける距離だったので必要最低限の広さで十分でした。

 冬の休みの日はこたつの周りの手の届く範囲にすべて生活に必要なものをおいておきました。例えばTV、ラジカセ、湯沸かし器、カップ麺、食料品、文房用具、教科書など。これで1日、トイレ以外はそこに座して快適に過ごすことができました。そのままこたつで寝ていましたのでまさに冬はぬくぬくと退廃的に過ごせましたね。広すぎると落ち着かないし掃除も大変だしこのような「自分の城」的感覚が楽しかったです。

 まあこんな生活は健康的ではないにしろ、若いころは快適に感じましたので、おそらくかえって「すべてに手の届く狭小環境」というのは若者ならよいのかもしれません。