皆さま、遊びに来てくださりありがとうございます。立夏と申します。
本日は、わたくしが不登校になった日について綴りたいと思います。
私が不登校になったきっかけは、最初自分で分かりませんでした。
後々考えればあれかなこれかなと思いつくといばあるのですが、これが原因といるほどはっきりしたものはありませんでした。
きっと色々なものが積み重なった結果なのでしょう。
学校に行けなくなる一週間前、激しい腹痛に見舞われ一週間入院しました。
退院して次の日は学校に行きました。ですが、授業が右から左と抜けていく感覚に加え全く授業が理解できませんでした。座っているだけで苦痛で、今すぐ帰りたいと思いました。
ちょうどテスト期間に入る前でそのころ大量の宿題とノート提出が迫っていたのを覚えています。
きっと、入院していてできなかったと説明すれば良かったのでしょうが、そのころ完璧主義と怒られたくなかったという気持ちが強く、短い時間ですべて終わらせようとしました。
しかし、そんなことできるわけもなく心が折れました。
今まで、風邪で一週間休んだこともあったのですが、そのときは一週間の遅れを取り戻せていました。
自分の中で、おかしいと思っても、どうすることもできなかったのです。
次の日、母に学校に行きたくないそう言って休みました。
その時、ずる休みという感覚、後ろめたさ、黒い感情で一杯でした。
また次の日学校に行きました。でも、結局一緒で帰りたくて帰りたくて堪りませんでした。一日休んだくらいで、私の気持ちは変わりませんでした。
そして次の日、「学校に行きたくない」と泣いて両親に頼みました。
無理やり行かせようとする力に反発し机に捕まって、どうしても行けないことを伝えました。
最初は両親も困惑したでしょう。自分もどうすればいいのか分からなかったのです。
私にとって学校に行かないことが、今できる最善だったのです。
その後一週間学校を休みました。しかし、母と担任が連絡を取り合い担任が朝迎えにきたのです。私は担任がわざわざ来てくれたから、行かなくてはならないのかと考えました。ですが、無理なのです。何回行っても一緒だってことはもう分かっていたから。そして、担任に顔も見せず部屋で嫌だと泣いている私に向かって「嫌なら学校なんて来なくていい、ゆっくり休みなさい。」と言ってくれました。
私は、その言葉に救われました。学校を休むことに後ろめたさを感じていた私にとって、学校に行きたくなかった私にとって、先生がその言葉をくれたことが救いでした。
また、母も躍起になって学校に行かせようとすることは無くなりました。
ですが、たったそれだけで無理に学校に行かせようとはしないけど、なぜ学校に行けないのか、どうして欲しいかなど伝わるのには時間がかかりました。
だいたい3〜4年ほどでしょうか、もしかしたら今も伝わってないのかもしれません。
きっと伝わるのとき母にとって私への諦め的なものがあったように感じます。
また、私も時間の経過により心の傷が癒て、自分との関わり方も分かったために私が母に突っかかることが少なくなったからかもしれません。
最初の1〜2年はたくさん話し合いました。話すことで傷ついて、傷つけて。涙が止まりませんでした。こんなに苦しくて、伝えたいことがあっても。苦しいと言っても。そこは苦しいという言葉だけが共有され、そこにある意味や想いは伝わらないのです。言葉を変えても、分かったで話が終わっても次の日には話が元に戻ってしまう。そんな日々でした。
私が、不登校になって一番辛かったのは、伝わらない苦しさです。
今何を感じて、何が辛くて、何が楽しいか、そんなことを色々な人に喋りました。
例えば、母はそうだし、先生、スクールカウンセラー、病院の先生、カウンセリングの際など、何度も伝えました。
ですが、本当に伝わっていると感じたことはありませんでした。そのため、話すことが嫌になったり、自分がこの世界でたった一人のような孤独、なぜ自分だけこんな思いをしなくちゃいけないのか、たくさん自分を責めました。
ですが、気づいたのです。自分が他人のことをわからないように、他人も自分のことはわからないと。
そのため、最後まで通っていたカウセリングには、自分が悩んでることを話すだけで答えは求めないし、余った時間は永遠と自分の推しについて話していました。
でもそんなことでもすこし心は軽くなるのですよね。理解してもらうことが目的じゃなくて伝えることが目的。伝わったかなんてどうでもよかったんですね。
ここまで長文をお読みいただき、ありがとうございました。
またお会いできる日を、楽しみにしています。
コメント・メッセージ受け付けておりますので、いつでもどなたでもお待ちしております。