皆さま、初めまして立夏と申します。
今回1回目の投稿ということで、
わたくしの自己紹介、ざっくりと不登校だったころと起立性調節障害(OD)の発症してからについて
お話ししたいと思います。
[経歴]
先に、私の経歴からお話しさせていただきます。
私は中学二年生の六月、突然学校に行けなくなりました。まるでピンと張った一本の糸がプツンと切れたようでした。
その後、スクールカウンセラーと面談をした際、起立性調節障害の症状が見られると言われ近くの病院で診察を受け、起立性調節障害の診断を受けました。
当時、感じていた症状は夜眠れなくなっていたのと倦怠感、頭痛のみでした。しかし、月が経つにつれ朝起きれなくなり、また立ち上がるときの目眩、腹痛と次第に症状が悪化しました。
起立性に苦しめられる私を見て、母は病院を探し様々な病院を受診しました。中には、OD専門の病院へも訪れました。
中学校は、私の気持ちを尊重し診断書を提出し一ヶ月程お休みしました(夏休みも合わせると三ヶ月程)。その後二年生は、月に何日か相談室へ11時くらいから登校しお昼を食べ2時ごろには帰るという生活を送ってました。三年生に上がってからは、進学のための練習として学校に行く回数も増えました(登校スタイルは変わらず)。
高校は、通信制高校に進学しました。登校型のサポート校で、一年次は午後からのコースに通い、二年生からは午前中からのコース、三年次は進学向けのコースに通っていました。高校在学中も、朝は起きれなかったのですが、似た境遇の子が多い分先生も慣れてたので、朝起きれないことがストレスになることは少なかったです。
私は中学生の頃から大学進学願望があったのですが、中学生の頃は文字を読むことペンを持つこと考えることすら苦痛になってしまい勉強から離れていました。が、時間の経過により、そう感じることも少なくなり無理のない範囲で勉強を再開していきました。高校二年の終わり、進学先を決め受験勉強を開始。大学に一般選抜で合格。
現在も、朝起きるのは辛いです。できることならせめて9時まで寝たい。しかし、今年はコロナのおかげで春学期、週3日の登校であと2日がリモート授業のため、なんとか調子を崩すこともなく通うことができています。
以上ざっくりとした経歴でした。
[自己紹介]
経歴でほとんどのことは言ってしまったのですが、自己紹介は本当に個人的なことをお話したいと思います。
年齢は18歳(2021時点)、大学では、農学系を学んでおります。
趣味は、アニメ、声優、料理(ご飯・お菓子・パンなどなんでも)、読書、音楽鑑賞、最近だと庭園観賞、宝塚歌劇団、ちょっと前だとジャニーズとかとにかく多趣味です。
皆さんとブログを通して、楽しくお喋りできたらなと思います。
きっとこのブログは、今起立性、不登校で悩んでいる方またその親御さんが読まれるのかなと思います。
しかし、私の経験は全員に役立つわけでは無いですし、不登校と一言で言っても、十人十色です。しかし、先の見えない不安はとてつもなく恐怖です。誰でも未来は見えませんし、不安はあります。それでもあの時の不安は現在よりとてつもなく大きく自分では抱えきれませんでした。
今過去を振り返ってあの時の私に「大丈夫」と一言言ってやりたいと強く思いました。強く抱きしめたい、暗闇にいたあの子の手を握って走り抜けてやりたい。
でも、それは過去で一言言ってあげることも抱きしめることもできません。
でも、今苦しんでいる子たちになら私が「大丈夫」と言ってあげれます。自信を持って言ってあげれます。絶対なんてないけど、一生このままなんてありません。
学校はいつか卒業するし、学校にいるあの人がダメなら環境は変えれます。住む場所は変えれなくても、フリースクールがあります。勉強は学校じゃなくてもできます。学校で勉強をしなくてもいいんです。この世界は学校が全てじゃありません。不登校聞こえは悪いけど、貴方を否定しているわけじゃありません。貴方の名前は不登校じゃないから。必ず貴方のことを見てくれる人と出逢えます。時間が解決しくれることだってたくさんありますから。
最後に、私の好きな言葉を
”サボテンは水の中に生える必要はないし、蓮の花は空中で咲かない。”
”シロクマがハワイより北極で生きるほうを選んだからといって、だれがシロクマを攻めますか。”
これは『西の魔女が死んだ』という映画に出てくる言葉です。
『西の魔女が死んだ』は、学校に行けなくなった少女がおばあちゃんの家で魔女になる修行する物語なのですが、私にもこんなおばあちゃんがいたらなと想像しました。作品に出てくるおうちも素敵で、どこか胸に刺さる作品です。よければみなさまもご覧くださいませ。
ここまで長文お読みくださり、ありがとうございました。
皆様からのコメント・メッセージいつでもお待ちしております。
また、お会いでいる日を楽しみにしております。