研修プログラム、とりあえずの3ヶ月を終えるころ、「もう3ヶ月やりたい」となった。半年を過ぎるころ「もう3ヶ月」となった。そして、12月を迎えるころ、「ここで暮らしながらやってみたい」となった。

 

 「やってみたい」の中身ってなんだろう。いろんな思いや事柄は浮かぶが、言葉にするとすれば「誰もが本心で生きられる社会を願う。そこに向かう試みを暮らしながら、共に。」そんな感じだろうか。

 研修生として受け入れてもらって、この鈴鹿のコミュニティに暮らしながら、触れてきた空気、日々変化する人や社会(コミュニティの在りよう)、味わったもの。そこから離れがたい感じが芽生えていた。

 自分の中で「本来の人ってどんなだろう?」「そういう人と人が営む暮らし、社会ってどんなだろう?」そういうことを、日々の暮らしの中で、ここでやってみたい。そんな中身をコミュニティでスクールの研修プログラムのお世話をしてくれていたスタッフの人に相談したら、「じゃあこれからのこととか、トランジット部門の人と相談していきましょう」ということになった。

 

 研修生として鈴鹿で暮らすようになって、人との関係性とか、職場とか暮らしの中で、自分はどうだったかな?と毎日観察したり、研修生の輪の中で出したり、人のを聞いたり、2人とか3人で話聞いてもらったりする機会が用意されていた。

 そういう、じっくりと聴いてもらう、話せる場、環境があることの大きさを、体験していく中で知っていく感じがあった。

 それまでの日常での会話、ミーティングを振り返って、そこの時間の大半が、いかに考えや事柄の交換に費やされていたかを思い知った。何のためにはなしているんだろう?話すことで、本当は何がしたいのか?そういうことを知らずに育ってきたんだなと思った。それは仕方ない、親も、またその親も、そういう環境で育ってきたのだから。

 

 暮らしの中に、じっくりと自分を(気持ちも含め)見る、話す、聴いてもらう。そんな時間がある暮らし。それがどんなに豊かなことか。そういうことを大切にする環境(社会)に身を置くことで初めて、知らず知らずに身に付いていた人や社会への警戒心や不安に気づいていきながら、本来あるものに向かうアプローチを歩み始めたように思う。

 

 この原稿を書いている3月20日、GEN-Japan(グローバル・エコビレッジ・ネットワーク-ジャパン)のオンラインイベントに参加した。

 オーストラリアから、ベトナムから、中国から日本にきている留学生はじめ、これからの社会を創っていく若者たちを中心に、日本各地で活動している仲間たち、そこに関心を寄せる参加者、数十名がオンライン上でつどい、各地のプレゼンテーションに耳を傾け、願っている世界への想いを共有した。

 

 GENの集まりには、今まで自分が取り組んできた、トランジションタウンやパーマカルチャーといった活動で知り合った仲間たちの顔も多数あった。「平和な世界」「持続可能な世界、社会」。言葉としてはそのような表現であらわされるようなもの。そういったもの、世界を創ろうという活動、言う人は世界中にいるが、どんな感じだろう。

 

 今、暮らす鈴鹿のコミュニティは、自分がやってきていた活動と何かが違う。今までは「やること」に意義がある感じだったが、ここでは「在ること」に根ざしているというところだろうか。その取り組みが始まって20年。今までそういうものに惹かれたり、可能性を感じて、今僕はここでの暮らしを選んでいるように思う。新しい社会の試み。ある理想の形を目指していくのではなくて、本来の人はどうだろう?実際は?と探究を通して理想の実現に向かうアプローチ。まだまだ分からないことだらけだけれど。

 

 人類がここまで積み重ねてきた歴史の上にあらわれ出ている現状の社会。僕が生まれたときには、社会とはこういうもの、そこに合わせた両親の価値観によるしつけ、学校の教育、そういう社会のもとに育ってきた。いつからそれに対して違和感を抱くようになっていたのだろう?その違和感の底には、自分が本当に願っている世界というものがあるように思う。

 

 そういう世界はどこか外にあるのでも、誰かにつくってもらうものでもないなと思う。世界は自分の中にある。今の社会は自分の中にある。先ずはそこにある社会を知るところから、自分は今どんな世界、社会に住んでいるのか。じっくり知ろうとすることもなく、自分の中に沸き起こる違和感に反応して、それとは違う世界、社会を望んできたかもしれない。最近そんなことを思うようになった。

 

 鈴鹿に暮らし始めて、新しい学び、世界の見方が自分の中で再構築され始めている気がする。社会は壮大な実験場だ。人は自分の感覚器官を通してしか世界を感じることができない。どんな世界を見聞きし、感じているのか。そういうものを、何の警戒も不安もなく、一人一人が出し合い、分かち合い、創られていく社会、世界。

 

 鈴鹿の取り組みはそんな方向性を持った試みのプロセスにあると思う。コミュニティといっても、最終形、理想形があるわけではない。そこに一人の人が加わる、生まれれば、それによって変化するコミュニティの、人の在りようがある。一人一人の変化に、ダイナミックに社会の方が適応していく。誰も外れることが無い。誰もが安心の中で生きられる世界。言葉にしたら、そんな世界を願ってというか、描きながら進んでいるのかな。あくまで自分の今の理解だけど。

 

 鈴鹿で味わい始めた新しい暮らし。僕をどこへ運んでいくだろう。本来の自分に還っていくことで、そういうところで、出会う人たちと共に、その都度新しい社会、世界と再び出会うことになるような。そんな予感がしている。

 

 下に紹介するのは、韓国から学びに来て、今は鈴鹿に暮らしながら、主には子どもたちの育つ場を見ているフンミを通してみる、この社会の試みの一端。どうかな?