(承前)
それでは実際の発達障害に関する記述ではどうでしょうか。
問題となるのは、あくまでも定型発達者の視点による
コミュニケーションおよび対人関係の障害、
同一性へのこだわりや興味・関心の狭さ、
あるいは聴覚・視覚・触覚など感覚の過敏、鈍磨といった
傾向がもし定型発達者にとって了解可能な現象であるとすれば、強いてそれを障害とする理由はないわけです。
しかしながら、コミュニケーションおよび対人関係の障害をはじめ、
感覚過敏や温痛覚の鈍麻といった現象も定型発達者によって身近でないとすれば、
やはり不可解な部分の核心というのは存在するわけで、
これまで論じてきた狂気というものもそこに併存するわけです。
ただいえることは、狂気の核心という部分が縮小しつつあるということで、
それは同時に狂気と正気を含む外延の部分が拡大しつつあるということと同じ意味だったりします。
(まだ続けたいです)