発達障害という「静かな狂気」が当事者に認識され、
それが治療の対象となるとしても、社会一般から「狂気」が消えてなくなるわけではないことは以前にも記しました。
狭くなった狂気の「核心」に至らない領域の出来事に留まる程度のふるまいとして、今度は社会一般の理解度・受容度が問われる問題となります。
然るに、今日ではどうでしょうか。
大人の発達障害当事者として欠かせないのが就労という分野での活動ですが、就労の場において自身の障害について
公開できるか否かが問題になってくるのですが、
実際上はクローズドでの就労が多いのではと思われるのです。
様々な利害得失を考慮してでの判断が含まれるのですが、
中小企業では合理的配慮を求めるのは困難が未だ多いため、
そのうえで敢えてクローズドで(殆どの場合障害者枠ではなく)仕事をしている方が多いのではと推察されるのです。
発達障害特有のいわゆる三つ組の障害に加え、二次障害を併発している場合は特に当事者にとっては就労のハードルが高いわけなのですが、その点の理解度が使用者側にも採用のハードルとして存在しているのは否みようのない事実です。
いや、昔はよかったという考え方もあります。
障害と特性である特定事物への執着あるいは粘着的態度が職人肌の「こだわり」として受容され、変わり者と言われながらも十分社会に溶けこんでいたのではないかという観点です。
実は、上の二つの観点というのは相互に矛盾するわけではなく、クローズド終了の多さは、就労形態が対人化、意思疎通化、強調化が進展した現代における状況であり、
職人肌の生業への執着は、発達障害の概念に広義の自閉症は含まれなかったため、生来の頑固さなども定型発達者の辺境域として認識されていた状況での出来事と推測されます。
(続けられたら続きます)