発達障害者の特性とされる言行についていえば、
それが直接的な狂気と結び付けられがちなものは二次障害を拗らせた大人の発達障害のケースぐらいで、
あとは良い意味でのこだわりといった範囲内に収まるものではないかと思うのです。
しかし、このこだわりもあくまで「あそび」の範囲内に収まればの話で、「あそび」も度が過ぎると「狂い」となるように、
当事者としては非常に悩ましいところであったりします。
そもそも「狂い」といえば「時計の狂い」「動作の狂い」「目論見の狂い」など、
「真実からのずれ」「期待や規範からの逸脱」を意味するところからすれば、発達障害の当事者に顕著な現実との距離感の欠如、すなわちブレーキの「あそび」に類する適切な距離ではなく、越えがたいほど大きな幅の「狂い」として見做されがちな点には注意を要するかと思います。
かといって、当事者としては自身の言行に「狂い」があることなどついぞ想いもよらぬように、
社会全般としても発達障害者の言行に「狂い」があるらしいことを自認するほかない程度で、
伝統的な統合失調症やうつ病にみられる「狂い」とは別個の捉え方をされているような気がするのです。
強いて言えば「静かなる狂気」に類するとでもなりましょうか…。
(意欲があれば続きます)