発達障害と狂気、といえば、すかさず天才と狂気、

と着想する向きもあるかも知れません。

 

確かに最近では、多分に病誌学的な背景をもととした

歴代人物の発達障害説が多く出るようになりましたが、

それでも本当にそうだったのかなと思えるケースもあり、

当事者としては励ましよりもむしろ当惑させられることが

再三再四です。

 

ここで前提としたい考え方は、天才とは人類にとって

理想型であり憧憬の対象であるとしても、生物学的には

ある意味変種であるということ、また天才性には

単なる才気だけでなく魔的なもの、ダイモニオンが

加わる必要があるということです。

もっともその際の狂気が発達障害そのものに由来するのか、

また二次障害によるものであるかも注意深く詳察する

必要はあるでしょう。

 

もともと天才と狂気が結び付けられたのが、狂気をまじえぬ偉大な魂などはないという、アリストテレスの時代に始まり、中世に一時姿を消し、近世になって再び対応させさせられていった経緯があります。

 

逆にいえば、かつては狂気とされた現象の多くがわざわざ言挙げすることもない日常となっていく過程であるとも考えられるのです。それでも狂気の核心そのものは未だその姿を留めているのですが。

 

(気力があれば続きます)