狂気がある意味での執着あるいは粘着を含むとすれば、

あじょしのこれまでの執着も狂気そのものとなりそうです。

 

思いつくだけ挙げてみましても、

(アーケードゲームでいう)かつてのシステムボードの軌跡を業界紙から探ってみたり、

北朝鮮の歌曲を短波ラジオで延々と流し聴いてみたり、

自作PCでメモリの増設にのみ情熱を燃やしてみたり、

ポケモンの二次創作に凝ってみたり、

焼酎を煽りながらDDRを踏んでみたり、

「迷列車で行こうシリーズ」の韓国語翻案動画をUPしてみたり、

とまあ、執着の対象が遷移してはいますが、

現在のところマリカーへの静かな執着ぐらいで、

自分の財布を危篤状態に追い詰める程度で社会生活はどうにか営めているわけで、

いま想えばすべて何の意味もない、亀の剥がれ落ちた甲羅のようなものである気がすることも確かです。

 

決して病的な執着や粘着とは想えないものまで、時代によっては狂気とされたりするというのは何とも皮肉なことですが、

狂気は世につれまた狂気につれ、とでも狂句を残したくなりそうなところです。

 

(続けられたら続けます)