(承前)

自閉な状態といいましても、そのなかには世界との間隙を心像や想像で埋め合わせることのできる向きとひたすら行動で表現しようとする向きに分けることができると思われるのですが、

社会的また当事者的に問題となるのは、行動派の自閉であり続けてきたのは歴史上明らかなようです。

端的にいえば、昭和の猟奇殺人犯であった大久保清あたりがあじょしには思い浮かびますが、

同時代人としては対極的な、創造派の人物としては三島由紀夫だったりします。

 

まあこのような極端なケースとまでは云えませんが、

発達障害と狂気が結びつきにくい理由としましては、

発達障害の診断対象がもともと幼児や学齢期の児童であり、

その言行を狂気と呼ぶことが必ずしも相応しくないという事情もありますが、

やはり狂気とみなされる言行の許容範囲が社会的に狭まってきているという事情もあるようです。

古代の狂気、中性の狂気、近現代の狂気、1970年代の狂気も、2010年代の狂気は

それぞれ社会的な許容範囲が狭まってくる過程であると考えることができます…よね?

 

(続けられたら続く)