オペラ『愛の妙薬』の作曲者ドニゼッティ。死後、多く遺されている彼の書簡や当時の周囲の評判をもとに推測される彼の主な人間性は、以下の通りだそうです。
●芸術家にありがちなやっかみや嫉妬・誹謗中傷などがほとんどない。
●ユーモアにあふれ、どんなに困難な状況でも自分の仕事をしっかりとこなし、傲慢さがない。
ドニゼッティは、ライバルであるベッリーニ作曲『清教徒』の成功を素直に喜んだというし、ヴェルディ作曲『二人のフォスカリ』を「まだまだ若書きであるが既に彼の魅力がところどころに光っていて、将来はきっと大きく輝く存在である。-やっかみ?私はやっかみという言葉とは縁遠い人間です」と知人への手紙に書いたそうな。
確かに『愛の妙薬』の、爽やかによどみなく進んでいく音楽には、こうした彼の人間性が一貫して顕れているような気がします。ただし、2幕のネモリーノのロマンツァ「人知れぬ涙」はだいぶ趣が違って聞こえてきますね。台本作家ロマーニの反対をよそに、この場面にこの音楽が絶対に必要だと主張したドニゼッティは、何年か前に書いたこのセンチメンタルなメロディを、歌詞の完成を待たずに挿入したようです。
おそらくドニゼッティは、音楽でドラマを描く「バランス感覚」のようなものが優れていたと言えるかもしれませんね。もしもこのアリアが挿入されていなかったらと想像すると、オペラ全体が途端に奥行きのないものに感じるという方も多いのではないでしょうか。また、「軍隊には享楽的な愛が待っているぞよ~」というベルコーレの歌唱と、「入隊によって手にしたこの金で妙薬を買い、その効能で彼女が僕のことを愛してくれれば…!」というネモリーノの歌唱が同時進行している場面などは、どちらの境遇にも大いに感情移入できますし、それは相反するモノをバランスよく音楽に仕立て上げたドニゼッティの力なのだと思います。
ところで、ネモリーノのロマンツァの第一節と第二節は、それぞれUnaとUnという歌詞でF音(1点へ音)から始まりますが、F音でのUの発音は一般的にテノールにとって少々演奏しづらく、気を遣う箇所のようです。(←とはいえ、逆に得意な方もいらっしゃるのでそうでもないのかな?テノールの皆さまいかがでしょうか?)仮に、この場面の歌詞がロマーニの手によって音楽より先に完成していれば、ドニゼッティは母音の歌い難さを考慮し、現在のものとは異なったメロディを挿入していたかもしれませんね。オペラ完成までに要した時間が2~4週間という非常に短期間であったということに、二人の意見の相違が加わればこういった箇所が出てくるのも当然といえば当然なのでしょう。
ドニゼッティの半生に話を戻します。彼は大変美しい妻と結婚したそうですが、授かった三人の子供を不運にも全員亡くし、彼の父母が他界した直後、産後の経過が思わしくなかった妻までをも亡くしたのだそうです。
晩年の彼は梅毒により身体と精神のバランスを崩し、1846年正常な意識が残っていたにも関わらずパリ郊外の精神病院に不本意にも17ヶ月間も監禁されたそうです。病状を心配した親類や医者によりわざと盗っ人の容疑をかけられ、強制的に収容させられたとのことですが、残念ながらその行為が彼の衰弱にみるみる拍車をかけていったようです。入院中友人への手紙に、欺かれたことや退院したい旨を切々と訴えていたようですが、17ヶ月という長い間ドニゼッティは、人知れぬ涙をひとり流し続けたのだと想像します。
退院後、1847年10月に故郷ベルガモに帰り、1848年4月8日に没するまでの彼といえば、ようやく発した言葉は途切れ途切れで理解されず、正常な意識がほとんど残っていなかったそうです。
●芸術家にありがちなやっかみや嫉妬・誹謗中傷などがほとんどない。
●ユーモアにあふれ、どんなに困難な状況でも自分の仕事をしっかりとこなし、傲慢さがない。
ドニゼッティは、ライバルであるベッリーニ作曲『清教徒』の成功を素直に喜んだというし、ヴェルディ作曲『二人のフォスカリ』を「まだまだ若書きであるが既に彼の魅力がところどころに光っていて、将来はきっと大きく輝く存在である。-やっかみ?私はやっかみという言葉とは縁遠い人間です」と知人への手紙に書いたそうな。
確かに『愛の妙薬』の、爽やかによどみなく進んでいく音楽には、こうした彼の人間性が一貫して顕れているような気がします。ただし、2幕のネモリーノのロマンツァ「人知れぬ涙」はだいぶ趣が違って聞こえてきますね。台本作家ロマーニの反対をよそに、この場面にこの音楽が絶対に必要だと主張したドニゼッティは、何年か前に書いたこのセンチメンタルなメロディを、歌詞の完成を待たずに挿入したようです。
おそらくドニゼッティは、音楽でドラマを描く「バランス感覚」のようなものが優れていたと言えるかもしれませんね。もしもこのアリアが挿入されていなかったらと想像すると、オペラ全体が途端に奥行きのないものに感じるという方も多いのではないでしょうか。また、「軍隊には享楽的な愛が待っているぞよ~」というベルコーレの歌唱と、「入隊によって手にしたこの金で妙薬を買い、その効能で彼女が僕のことを愛してくれれば…!」というネモリーノの歌唱が同時進行している場面などは、どちらの境遇にも大いに感情移入できますし、それは相反するモノをバランスよく音楽に仕立て上げたドニゼッティの力なのだと思います。
ところで、ネモリーノのロマンツァの第一節と第二節は、それぞれUnaとUnという歌詞でF音(1点へ音)から始まりますが、F音でのUの発音は一般的にテノールにとって少々演奏しづらく、気を遣う箇所のようです。(←とはいえ、逆に得意な方もいらっしゃるのでそうでもないのかな?テノールの皆さまいかがでしょうか?)仮に、この場面の歌詞がロマーニの手によって音楽より先に完成していれば、ドニゼッティは母音の歌い難さを考慮し、現在のものとは異なったメロディを挿入していたかもしれませんね。オペラ完成までに要した時間が2~4週間という非常に短期間であったということに、二人の意見の相違が加わればこういった箇所が出てくるのも当然といえば当然なのでしょう。
ドニゼッティの半生に話を戻します。彼は大変美しい妻と結婚したそうですが、授かった三人の子供を不運にも全員亡くし、彼の父母が他界した直後、産後の経過が思わしくなかった妻までをも亡くしたのだそうです。
晩年の彼は梅毒により身体と精神のバランスを崩し、1846年正常な意識が残っていたにも関わらずパリ郊外の精神病院に不本意にも17ヶ月間も監禁されたそうです。病状を心配した親類や医者によりわざと盗っ人の容疑をかけられ、強制的に収容させられたとのことですが、残念ながらその行為が彼の衰弱にみるみる拍車をかけていったようです。入院中友人への手紙に、欺かれたことや退院したい旨を切々と訴えていたようですが、17ヶ月という長い間ドニゼッティは、人知れぬ涙をひとり流し続けたのだと想像します。
退院後、1847年10月に故郷ベルガモに帰り、1848年4月8日に没するまでの彼といえば、ようやく発した言葉は途切れ途切れで理解されず、正常な意識がほとんど残っていなかったそうです。
