私の残りの人生の目標
残りの人生なんて
書き方は良くないですね
でも私は自分が病気になって
今まであった人生設計や価値観が
ガラリと変わりました。
辛いし悔しい事も沢山なんだけど
正直、自分でも不思議なんだけど
こんな身体なのに、自分では今が
人生で一番、しみじみと
幸せを感じていると思います。
毎日を精一杯、大事に大切に生きている
と自分で思えています
この3月で私の10年のグリーンカードが
切れました。
もう次の10年の更新も、したのですが
最近安達さんに伝えました。
ここ1年くらい、ずっと考えていた事でした。
この10年は更新するけど、次に切れた時は
更新しないで日本に帰ろうと思う と。
安達さんは何も言わずに
聞いてるだけだったけど
私には、ずっと引っかかっている事が
ありました。
今回の写真は先週子供達と安達さんが行った
Napaの写真
安達さんがいっぱい撮って
頻繁に送ってくれていました
すごい今更だけども
子供達も大きくなってきたし
これからは子供達にはスタンプを使おうと
思います
前前回のblogに写真も載せたけど
日本で結婚の写真を撮って
会いに来てくれた時
おばあちゃんにも 挨拶に行こうか?
と言われました。
私と同じ病気の祖母は
もう歩けなかったし、上手に話せないし
合併症で施設に入っていたので
時間もないし、いいよ。 と言いました。
おばあちゃん、何の病気なん? と聞かれて
当時日本語でも
祖母の病名を覚えていなかった私は
えっ?英語は勿論、日本語でも言えないわ
と言ったのですが
医療従事者の安達さん。
専門ではありませんが、病名を知らなくても
すぐにググって遺伝する病気だと
その時にわかったかもしれない。
知って結婚してたかは分からないけど
知った上で結婚すると決めるのと
知らずに結婚するのでは
全然違うよねと今の私は思います。
当時の脳内お花畑で、のほほんと
生きていた私を殴ってやりたいです。
病気が分かって身体が不自由になってきて
夫婦の関係もすごく変わりました。
ここには詳しく書かないけど
何度も何度も泣いて、話し合って
最終的に私は
あぁ、この人と
これから、もっと不自由になる身体で
アメリカで生活していくのは無理だ。
と思いました。
喧嘩もするしイライラもするけど
別に嫌いになったとかでは無くて
(イヤ、嫌いになる時もあるけど)
今、何不自由なく生活出来ているのは
安達さんが外で一生懸命に
働いてくれているお陰だし
本当に感謝しているのです。
ここに居る限り、家族楽しく
力を合わせて生活していきたいと
思っています。
でも私は、将来は
自分の生まれ育った故郷に帰りたい。
大好きな日本に、いつか帰りたい。
日本に帰れる家があって
身体が限界だったら
いつでも帰ってきたら良いよ
と言ってくれている家族が居るから
言える事ですけどね。
本当に感謝しかありません。
ここでの私の残りの人生の目標は
子供達が高校卒業や高校入学まで見守り
立派な人間として、1人でも生活出来るように
目一杯の愛情を注いで躾をして
もーオカンうるさいわ
とウザがられるくらい側に居て
安達さんを反面教師に ←要らん一言
素敵なジェントルマンに
2人を育てる事が
私の人生の目標になりました。
病気を発症しての
これからの10年は
もう持たないかもしれないけど
でも、この目標を持ってから
何が何でも頑張ってやる
と気合が入ると共に
凄く気持ちが楽になりました。
長くなってきたので続きます