*心の声*
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過去の話 6

小学5、6年生の2年間は私の人生に大きな影響を与えた。

そして今まではどちらかといえば私の罪の話を中心に書いてきたが、この頃からは罪もあるけれど、やられた方の出来事も多くなってくる。

罪の話は、現実では誰にも話せないけれど、でも告白をする、懺悔をするという意味ではまだ書くことができるのだが、やられた方の話は現実でも語りにくいが文章でも書きにくいのがわかった。

やっぱり人間というのはやったことよりやられたことの方がよく覚えていて、そしてそれに関連してどんどん嫌な記憶が蘇ってくる。

 

正直この記事からなかなか筆が進まなくなってきた。

色々ややこしいというか、特にこの小学5、6年は私は被害者でもあったし、加害者でもあったからだ。

前にも書いたかもしれないが、地元に住んでいるにもかかわらず、私は小中学生時代の人とは卒業後ほぼ連絡を取っていない。悪い思い出ばかりではなかったけれど、それ以上に自分にとってはなかったことにしたい時代である。

 

それでも書き始めたからには、何とか、できる限り書いていこうと思う。

最初にも断ったが辛くなったらやめる。

 

まずはよくわからなかった友人(N)の話。

その子はどちらかと言うとおとなしい子で、何がきっかけだったか忘れたがいつのまにか私と一緒にいるようになった。

それまでの友情では私の方からアピールすることが多かったのに、Nに限っては向こうから私と一緒にいたがっていて、まぁ正直悪い気はしなかったし、Nも良い子だったから普通に仲良くしていたと思う。

後から思うと私にべったりしていた頃、Nはクラスにまだ馴染めてなかったように思う。

私は学校が家から近かったせいもあり、結構ギリギリに登校するタイプだったのだが、Nはいつも階段のところで私を待っていた。

 

ところがある日を境にNはパッタリと私にまとわりつくのをやめてしまった。

いつも階段のところで私の登校を待っていたNがその日はいないなと思いながら教室に入ったら、他の子と楽しそうに話していて、私の方を見向きもしなかった。

要するにNにとって私は他に仲良くする子がいないから仕方なく一緒にいただけだった。

別にその後無視されたとかはなく、ただのクラスメイトとして過ごしたと思うけれど、それまでが本当にべったりだっただけにさすがに戸惑ったのをよく覚えている。

 

今になって、Nのそれが「仲が良い子が増えた」ではなく「仲が良い子が変わった」ということだったのが、私の歪んだ友情と似ているなと思う。

自分がそういう気質だったせいか、私自身はNに執着していなかったせいか、それともNの新しい友達が良い子だったせいか、Nの態度がガラリと変わったことには驚いたけど、そんなに悲しかった記憶はない。

 

ところでこの5、6年のクラスでは小さないじめが何人かを対象に行われていた。

いじめの規模を比べるのも間違っているとは思うが、例えばニュースにまでなるようなひどいいじめではなかったし、クラス全員からシカトされるとか、私物を壊される隠されるというような物でもなかった。

ただ、男女ともにクラスの中心になるようなグループがあり、その属性(明るく社交的・積極的)に合わない子はその子たちに当然ながら好かれなかった。

 

まずは自分の話をする。

私の場合はこの頃は女子からはそこまでひどく嫌われてはなかったように思う。

女子は中心グループに属さない子、属していてもそこから外れた人にも普通に接してくれる人がいたからだと思う。

私のことをいじめたというか、嫌っていたのは一部の男子だった。

 

今にしてみれば幼稚なんだけど、○○菌とか言われて、汚いもののように扱われていたと思う。

ただあくまでもそれは一部の男子で、男子の中でもおとなしい子は別に普通に話してくれていたから、いじめられていたと言っても他人から見たら軽い部類なんだと思う。

 

ただものすごく今でも覚えている出来事があって。

1人、本当にめちゃくちゃ私のことを汚がって嫌っていた男の子がいて、その子が他の方を見てる時に私が側を通っちゃったんだったかなんだったか、とにかくかなり接近してしまったことがあって。

私に気づいた途端、ものすごい大声で「気持ち悪いから近づくんじゃねぇよ」だったか、そんな感じのことを心底嫌そうな表情で叫ばれて、それはさすがにショックだったので覚えている。

 

正直この出来事が私の中で大きすぎて、他の嫌われてたことはあまり覚えていないくらいなんだけど、でも一回母親に学校に行きたくないと相談したことがあったくらいなので、まぁそれなりに辛かったんだろうなと思う。

ちなみにその時母が出した提案は「担任の先生に説明して休む」という、今にしてみればどうしようもないもので、そして実際担任の先生は(他の人に対する)いじめという件にどうしようもない対応をするのだが、その頃はまだクラス全体で担任を嫌っていたかはあまり定かでないのだけど、とにかく自分がされてることを先生に話して解決するわけがないと思ったのか、結局登校拒否はしなかった。

 

先にも書いたように、そのクラスでは中心グループとそうでない人たちとでわりと明確に分かれていたので、自分のことを嫌っている人たちに近づきさえしなければ、そうでないおとなしい人たちとすみでこっそり過ごすことは可能で、だから孤独だったという思い出はあまりない。

 

メンバーが同じだったせいで、5年の時の記憶か6年の時の記憶かが定かではないのだけど、でもそれなりに漫画の貸し借りをしたり、相手の家に遊びに行ったりとか、普通に遊んだ記憶もある。

 

だから私の「いじめられた」など本当に軽い経験ではあるのだけど、でもその頃に他人から下される評価ってのは意外と芯に残る物で、私はずっと自分のことを、さすがに菌とはおもわなかったけど、気持ち悪いとかブスだとか思っていたし、今でも容姿に関してはあまり自信がないというか、冷静に判断すれば10人並みではあるのだが、他人から顔をじっと見られるのは苦手だし、相手の目を見て話すのも苦手だ。

 

ちょっと話が逸れるけど、子供の頃の無邪気な他人に向けての言葉は本当に残酷だと思う。

例えば学帽って、学校に通う時に被る帽子があったのだが、その内側にサイズが書かれたタグがあり、私の学帽のそのタグを見て(他の帽子と比べたわけでもなく)「大きい!」と言われたことで、私はずっと自分の頭が大きいのだと信じていた。

大人になって帽子を買ったり、仕事で三角巾をつけるようになって実際はそうでもないと気づいたけど、それまで本当に信じていた。

あと私には肘にあざがあるのだが、それを誰かに「気持ち悪い」と言われて以来、自分で見ても気持ち悪いものに見えてしまい、夏でもなかなか半袖になれなくなってしまった。半袖の時はそのあざがある部分を反対側の手で隠すようにするのがクセになっているし、それは今でもわりと引きずっている。

というよりもう腕自体がコンプレックスになってきていて、ノースリーブとか絶対着れなくなった。

 

相手に悪気があったわけではなく、見たそのままの感想を口にしただけなんだけど、それをここまで引きずるということは、自分が「いじめた」とはっきり自覚している以外にも、何気ない言葉で相手を傷つけてその後の人生に影響を与えたかもしれないと思うとちょっと怖いなと思う。

過去の話 5

歪んだ友達付き合い

 

この頃から、私はある特定の人に対して「この人の一番の仲良しでありたい」と思うことが強くなった気がする。この思いは以前Eに対しても思っていたけれど、Eに裏切られたことでより一層、本当に1番仲良しにこだわるようになった気がする。

仲の良い友達がいても、他のことも仲良くするのは普通のことなのに、私は執着した相手が他の子と仲良くするのが嫌で仕方なかった。ライバル意識すら持っていた。

ただ小学生の時はライバルと思っていた相手に何かをするようなことはなく、執着した相手に気に入られるべく努力する形でなんとか1番になろうと思っていた。

 

間違った方向に向かってしまったのは中学生になってからである。

 

まずは小学生の頃から書く。

この時執着していた人は学校以外の場所でも活動をしていて。場合によってはそちらを優先して学校を休むこともあった。そのせいか同級生たちと比べて考え方などが大人びており、また自分にとって何が大事かをはっきりと持ってもいたので、若干クラスの中では浮いている方だったと思う。

クラスの中心女子グループは明らかに煙たがっていた。

私はその人(R)とは前もクラスが一緒だったこと、そしてクラスの中心ではないことから話すようになり、まぁそこそこに仲良くなった。

そして私はRの一番の仲良しになりたくて、たまに学校を休むRのためにノートを取ったり(でも長期に休まれた時は最後までできなかった気がする)、一緒に帰るために遠回りをしたりと、なんだろう、尽くしていたというのが近い表現かな。

R自身もクラスの中では私にかなり友情を抱いてくれていたとは思うけれど、当然他の人とも仲良くはするので、そういう時に私はさっきも言ったようにライバル意識を持つのだが、多分Rが学校外の活動のために休むことがあったことが幸いしたんだと思う。

どうしたってRと離れる時期ができてしまうし、その間は私も他の人と仲良くしている。

感情としては歪んでいたけれど、距離がそれをうまいこと中和してくれていた。

 

中学生ではそれがうまくいかなかった。

後で書くつもりだけど、小学生の特に高学年で私は仲の良い友達が作れなかった。

親友という言葉にすごく憧れていた。

中学1年で一緒のクラスになった、ちょっとだけ顔馴染みだったYと、たまたま側にいたおとなしそうなKと3人で話すようになった。そこで私は浮かれてしまい、親友になろう、交換日記をしようと、お互いをまだ良くも知らないうちから「私の理想とする友情」に巻き込んでしまった。

多分2人は私がこんなに張り切っていることにひいていたと思うけれど、まだ本当に気が合う相手と出会ってないような時期だったから、私の提案に付き合ってくれた。

「親友とは親しい友と書く。だから私たちは親友」と交換日記のページに堂々と書いていたのをはっきりと覚えている。しかも交換日記、1冊のノートを3人で回すならともかく、3冊のノートを回していたので毎日書く必要がある。まだ知り合ってさほど経ってないのに毎日、違うノートが回ってくるなんて普通に考えて苦行でしかない(もちろんそれを提案したのは私)。

 

とにかくその頃は私は親友と呼べる存在を作りたくて仕方がなかった。

でもそのせいで逆に人を傷つけることになってしまった。

 

とにかく形だけでも親友だと思い込んでる友達ができて、中学の最初の頃の私はすごく浮かれていた。

結構なやらかしもした。

 

でも1番最悪だったのは、私たち3人の「友情」はいつのまにかKをいじめる形になってしまっていたことだ。

 

これは誓って言うんだけど、いじめているという意識は本当になかった。

ただKは最初に言ったようにおとなしくて、その上要領も悪くていつも人の後ろにいるような子だったので、ある種の人間にはイライラされるようなタイプではあった。

これが言い訳になるわけじゃないのはわかってるんだけど、授業などでグループを作って作業する時には当然3人で一緒に組む。だけどKはグループで取り組む作業に大体自分からは関わってこない。

私が記憶を都合の良いように捏造している可能性はあるけれど、kは私たちがこれをやってと言わないと絶対に自分からは手を出さない子だった。そしてそれがちょっと怖いこと(理科の実験とか)だとやってと言ってもずっともじもじしてやらない。私かYがやってくれるのを待っている。

 

その頃の私は浮かれていたので、性格も割と明るく積極的なタイプに戻っていた。

Yも明るくてハキハキとしたタイプだった。

次第に私たちはKに対して辛くあたるようになってしまっていた。

 

でも本当にバカだったから、それがKのためだと思っていた。だって授業でやらなければいけないことをKはやろうとしない。それは良くないことだから、Kに無理にでもやらせるのが友達の役目だと思っていた。

 

でも、でも。今思うとだけど、Kは私たちがキツく言ったりすると困ってもじもじして、そしてちょっと怖がった。その時に私の中に「自分よりおとなしい相手が自分を怖がっている様」を見ることに喜びがあったような気がする。

SMで言うならSの方の感情。

困っているKを見て楽しむ感情が全くなかったとは言い切れない。

 

Kに辛くあたるのの最後の方は、本当に軽くだけどKの頬を叩いていた。

言い訳と思ってくれていいけど、本当に軽く、擬音をつけるならペチリ程度の痛みはほぼない程度ではあったけれども、でも同級生で、仲良しだと言っていた人間から叩かれるなんて、Kにしてみれば恐怖でしかなかったろう。

そしてその時のKの態度は相変わらず困ったような、怖がっているような感じで、ただ手を体の前で犬掻きのように動かしていたのが精一杯の抵抗だったのかもしれない。

 

そのすぐ後、交換日記でKは私たちとは仲良くなれないと思う。もう日記をやめる。あとは2人で仲良くしてほしいと言ってきた。

私たちはKを引き止めはしなかったし、なんならYともその時点でただのクラスメイトになってしまった。

 

その時のことを思い出すと、とにかく私とYがKに辛く当たっていた時のことしか思い浮かばないんだけど、でも時系列というか期間を考えると、ちゃんとそれなりに仲良くやってもいたんだろうなと思う。もちろんYとKの内心はわからないけれど、最後を迎えた時は秋くらいだったと思うので、それまでは我慢してでも付き合ってくれていたはず。

でも今の私は「3人で過ごした楽しい時間」を思い出すことはできない。

ただひたすらKに辛いあたりをしたこと、Kをいじめてしまったことしか思い出せない。

 

Yがどう思っていたのかもわからない。

Yともその後はほとんど話さなくなっていたような気がする。多分Yは私のせいでこうなったと思っていたんじゃないだろうか。辛く当たっていたのはYも一緒だったし、Kの頬を叩いた時も一緒にやっていた。だけどそうなる原因を作ったのは私だと思っていたと思うし、それを否定はできない。

 

本当に申し訳ないことにあれがいじめだったと気づいたのは随分経ってからだった。

それくらい私にはKをいじめているという意識はなかった。

多分Kから関係を切られるまで、私は「親友である」と思い込んでいたし、そして浮かれていた。

本当にバカだった。

 

ここまでの文章を読み返して、Kの人物像に、だからいじめられても仕方がないみたいな表現をしているのに気づいて、まだ言い訳するのかとうんざりする。

私はきっとKの心に一生消えない傷を作ってしまった。

謝っても許されないし、謝りたいという気持ちが私の自己満足でしかないし、そもそもKはもう2度と私に会いたくないだろうから、謝りたいということ自体が迷惑だともわかっている。

 

アレがいじめだったと気づいてからは、しばらくは謝りたいと思っていたけれど、その気持ちも相手には迷惑だと気づいて、それ以降はただKが今は幸せでいてくれれば良いなと思っている。

できれば中学の、あの期間のことなど忘れてしまうくらい。

これは綺麗事とかじゃなくて、本当に思っている。

 

だっていじめられた人間はいじめた人間のことを絶対に忘れないのを私は知っているから。

何を言ってもただの言い訳にしかならないけど

 

そして浮かれた中学時代はこの時に終わり、私はまた暗い性格に戻ってしまった

過去の話 4

小学生5、6年の時。私はいじめっ子でいじめられっ子だった

 

その前に忘れないうちに書いておこうと思っていたのが、5、6年の時の担任は比較的若い、女性の先生だったのだが、クラスはこの先生を一時期ものすごく嫌っていた。

特に女生徒の、クラスの中でも中心になるようなグループの子達が嫌っていたように思う。他のみんなはそれに影響を受けてというか、引きずられて嫌っていたような感じだった気がする。

 

実は担当してもらった2年間の中で結婚され、さらに出産(休暇)と先生自身にとっても大きな人生の節目を迎えていたのだが、多分そういう女性の生々しさがちょっとませた女生徒たちには気に入らなかったのかなと。初めから嫌っていたのか、結婚して苗字が変わったあたりから嫌い始めたのかなどを覚えていないのでわからないけど。

もしくは若い先生だったからもしかしたら高学年を担当したのが初めて、もしくは慣れてなくて、そこで変に力が入っていたのが逆に反感を買った可能性もあるかも?

覚えてないので全部推測でしかない。

 

ただこの頃の私は相変わらずクラスの中でもおとなしい人としか仲良くはしてなかったし、自分のことに精一杯だったので先生を嫌って何かをしたのかとかはあまり覚えていない。

学級崩壊(なんて言葉は当時はなかったと思うが)になるほどのことがあったならばさすがに覚えていると思うので、先生の言うことをあまり聞かないとか、反抗的な態度を取るとか、しょせんその程度ではなかったかとは思う。

 

しかし担任の先生が産休に入り、代理の先生が来た途端に嫌っていたグループのリーダーのような子が急に「先生はやっぱり良い先生だった」とか言い出して、グループのみんなも同意して、こんなところが良かったとか色々言い始めた時は端っこの方で聞きながら「この人たち何言ってるの?」ってマジで思った。

自分たちで先生を嫌おう!って空気を出してみんなを同調させておいて、いきなり手のひら返しされてもこっちの感情がついていかない。

 

代理の先生はちょっと年配のベテラン女性教師だったので、対比がすごかったというのもあるのか知らないけど、とにかく担任を嫌っていたグループは担任が復帰した時にはすっかり態度をあらためていたように思う。

代理の先生対してグループの子達がどういう態度だったかなどは一切覚えていない。

 

すごいダラダラと冗長な文章を書いてきたが、この中で私がはっきりと記憶しているのはグループの人たちへ対する「この人たち何言ってるの?」だけである。

それ以外は記憶を掘り返し、なんとか繋げているだけなので事実と違う部分もあると思われる。

 

ただとにかく、グループの人たちは態度を改めていたが、私は「やっぱり良い先生だった」となったことに納得がいってなかったので最後まで先生を嫌っていたと思う。

別に反抗的な態度をとったとかはなかったけれど、卒業するまで先生に対して好感は持てなかった。

 

ふと思ったんだけど、他のクラスがどうだったかわからないからアレなんだけど、5、6年のクラスは若いあの先生には荷が重かったのではないかという気がしてきた。

この辺を差別として受け取ってほしくないんだけど、生徒の中に今なら障害者って言われるんじゃないかって子もいたし。成長が、身体的にも精神的にも知能的にも、年齢と釣り合ってなくて、当時はまだそういう人に対しての配慮が全くなかった時代だったので、精神的にも幼いその子をからかって遊んだりしていた子もいたし、体を使うような遊びには混ぜてもらえなかったし。

っていうか障害者という言葉も知らなかったので、その子は小さい時にとある物を食べて病気になってしまい、それでこうなってしまったなどという馬鹿げた話が信じられていたくらいだ。

そういう、失礼ながら扱いが難しい生徒は普通はベテランの先生が受け持つのではないだろうか?特に低学年ならともかく、高学年になれば心身ともに大きく差が出てきてしまうというのに。

クラス内でも今の時代ほどひどくはないがいじめがあったりもしたし……って考えるとそもそも担任の先生は学校内(先生たち)で嫌われていた、もしくは若くて逆らえなくて明らかに荷が重そうな生徒を押し付けられた可能性もあるなって思った。

 

まぁ全部大人になって、社会の裏側というか、色々と人間関係を見てきた今だからこその邪推ではあるけれど。

子供の頃には見えなかったことが、こんな機会で邪推とはいえ可能性として見えてくるのは面白いね。

 

実は5、6年はその後の私の人生に影響を与えた出来事や、前にチラリと書いた私の友達という立場への認識の歪みがハッキリと出てきた事などがあり、どこから書いたらよいかわからない。

クラスの中でも問題が色々あったし。

 

少しずつ、頭の中を整理しながら書いていこうと思う

 

過去の話 3

思い切って小学校の卒業アルバム、卒業文集を見てみたけれど、学校が分かれた時期などはわからず。

 

わかったのは卒業した時のクラスメイトだけだったけれど、多少は記憶の補完ができたと思う。

小中合わせたら9年間、多少の入れ替わりはあっても同じ学校で過ごしただけあって、名前を見たらこんな子もいたなとなることが多かったけど、逆にまったく覚えのない子もいて。そういう子は一度も同じクラスにならなかったんだろうな。

 

卒業アルバムには今では考えられないだろうが、生徒のはもちろん、先生の住所まで記載されていた。もちろん今も同じところに住んでいる人などほとんどいないとは思うけれど。

 

小学校3、4年生の時の強い記憶はAに迷惑をかけた騒動と、あとは毎週決まった曜日に遊ぶグループに入ったこと。

 

3、4年で一緒だったクラスにとても体の大きい男の子(J)がいた。ドラえもんでいうならジャイアンみたいなガキ大将タイプで、興奮すると我を忘れることがあり、そんな時は女の先生1人では止められず2人か3人で止めているのを一度見た記憶がある。

決して普段から乱暴ではなかったと思うが、同年代の他の子より体が大きく力も強かったので、特に男の子でちょっと弱い子(線が細いタイプ)には意地悪をしたり横暴だったようにも思う。

そんな子だったからクラスではちょっと怖がられていたと記憶している。

 

印象に残っているのは当時のクラスに私のすぐ近所に住んでいる女の子(T)がいたのだが、そのTがJと大喧嘩というか、Jに泣きながら非難をしていたこと。

私の記憶では、Jはものすごく興奮しており、Tの胸のあたりを何度か殴っていた。それでもTは怯まずに泣きながらJの何かの行為に対して非難をしていた。

小学生とはいえ、興奮して男の子が女の子を何度か殴って怪我はなかったのかとか、あの時代とはいえ問題にならなかったのかとか、今にして思うとこの記憶は本当なのか、それとも盛ってるのか自信がないのだけど。もしくは問題になったけど知らなかっただけの可能性ももちろんある。

ただとにかく正義感の強かったTがJの何かに対して非難をし(おそらくそれは正しい指摘で)、Jは言い返すことができないからただ怒って暴力に訴えるしかなかった。

そして周りは怖くて何も、Tを助けることもJを止めることもできなかった。

 

しかしいつの間にかJを中心に、Tを含めた何人かで毎週決まった曜日に遊ぶグループができていた。

 

私は最初はそのグループには入っていなかった。

多分もうその頃は私は暗くて引っ込み思案な性格になってしまっていたから、良くも悪くもクラスの中心みたいな存在のJと仲良くするわけがなかった。

Tとは本当に家が近所だったので、放課後などに個人的に遊ぶことはあったけれど、学校でも仲良くしていた記憶はあまりない。

前の記事でも書いたが別にAの騒動のせいで私が仲間外れにされたとか、そういう記憶はないので普通に友達はいたのだと思うけれど、その頃仲良くしていたのが誰かは全く覚えていない。女の子なんてだいたいグループを作るものなので、きっとクラスの中でおとなしいタイプの子と一緒にいたのだろう。

 

ところで私の家の目の前には公園があり、またすぐ隣は当時は空き地であった。

Jたち「毎週○曜日に遊ぶヤツ」グループ(確か水曜か木曜だった気がする)は遊ぶ場所を色々にしていたが、たまに私の家の前の公園や、隣の空き地で遊んでいることもあった。

そしてそのグループには近所のTもいたわけで、母はそのグループが私のクラスメイトであることに気づいたのだと思う。

Tを含むクラスメイトが家のすぐ側で遊んでいるのに、それに加わらない私に対し、母は確か最初は入れてもらえば?と言ったように思う。

だけどその頃の私は何度も言うがおとなしくて引っ込み思案だったので、自分から入れてとは言えなかったし、多分そのようなことを母に言ったのだと思う。

母がJたちに私のことも一緒に遊んであげてくれる?と頼んだ。

そしてその日から私は「毎週○曜日に遊ぶヤツ」に加わることになった。

 

たまに意地悪をされたけれど(鬼ごっこの鬼にずっとなるようにされるとか)、基本的にそのグループで私は楽しく過ごしたと思う。

Jが「毎週○曜日に遊ぶヤツ、今日はどこどこに集合!」とクラスで言った時に「おお!」(実際に口に出したかは定かではないが)と応えることに優越感ではないけど、自分がそのグループの一員であることを喜んでいたことも覚えている。

 

ただ学校内ではそのグループは特に仲良くはしてなかったように思う。私以外はどうだったかわからないけど、少なくとも私はあくまでも遊ぶその曜日だけ、そのグループにいたと思う。

 

5年生に進級する時クラス替えがあり、グループのメンバーは別々のクラスになって自然消滅した。

 

3、4年で強く覚えているのはこれくらいかな……

 

あ、確か担任の先生がキレイな女の先生で、私はそれがすごく嬉しかったのに、その先生にAのことを注意されたのがよけいにすごくショックだったような気がする。

 

っていうか4年生の時もAもEも同じクラスだったはずなのに全く記憶にない。

クラス替えがあったわけじゃないと思うんだけど……ただ前にも言ったように途中で学校が分かれたせいもあって、なんかイレギュラーがあったような気もしなくはないんだよな……

そういう学校の歴史が調べられないか、小学校のサイトとかも見てみたけど歴史って載ってないんだね。

過去の話 2

前記事で説明不足だったところを補足

 

Aにバレンタインのチョコをあげたけど直接手渡したわけではなく、Aの家のポストに入れた。

でも返事は貰ってないし、あげたチョコも食べてないんじゃないかなと思う。

でも小学生の頃だからそれはそれで食べててくれたらいいなとも思う。

自分が報われたいというわけじゃなくて、Aがそれくらい割り切ってくれてたらいいなって感じ。

お詫びというか……

せめてトラウマになってないといいな……

 

ちなみにAとはクラスこそ一緒にはならなかったと思うが中学までは同じ学校だったけれど、騒動が終わった日からおそらく一言も口をきいてない。

クラスが一緒だったかさえ覚えていないくらいにその後の私は暗い性格になり、狭い範囲でしか生きていなかったのだ。

 

とにかく先生に注意をされて以降、私はAの事は口にもしなくなったし、引っ付いていたEとも離れてしまったので特別に仲が良い子はいなくなってしまった。

 

別に騒動が終わってからクラスメイトに揶揄われたとかはなかったと思うんだけど、その後しばらく誰かと仲良くしていた記憶がない。

ただこの騒動の後にクラスで孤立したという記憶もないので、本当に「特に仲のよい友達」を作れなかっただけだと思う。

 

今思えばEの行動は裏切りだし、私がEと仲良くしたがっている気持ちを利用して遊んでいたわけなんだけど、当時の私はEと付き合いはなくなったけど嫌いとか憎いとか、そういう負の感情を抱いた記憶はないのが不思議だ。

あと自分からのEに対する「仲良くしたい」という感情もすっかり消えていたと思う。当時は気づかなかっただけで、もしかしたら私は傷ついていたのかもしれない。

 

でもそれより先に「先生に注意されてしまうような自分の行為」の恥ずかしさと、Aに悪いことをしたという気持ちの方が強くて、仲良くしたかった子に裏切られた(遊ばれた?)ことにまで気が回らなかったのかもしれない。

ただしAに対する罪悪感は私が自分の記憶を捏造している可能性が高い。後になってアレは迷惑だったなという思いを当時から感じていたように思い込んでるのかもと思う。

だってバレンタインにチョコ渡してるから。

 

ところで私は時間というか期間というか、何がいつあったのかを把握する能力が著しく弱い。

何かがあってもそれが何年前なのかがすぐにわからなくなってしまう。

 

なのでこの小学生の頃の記憶も実際は違う年代だった可能性はある。

 

というのも前に書いたが小学3、4年はクラス替えはなかったハズなのだが、この時期にもう一つ強い思い出があるのだ。

メンバー的にも3、4年生の時しかありえないんだけど、そうすると私のAとの騒動の時もそのメンバーがいたことになる。

 

単純に私がAとEに夢中で、他に目が入ってなかった可能性もあるんだけど、衝撃的な出来事があったのがクラス替え直後だった気がしてならなくて、時系列に自信がない。

 

無理に納得するなら3年になった直後に衝撃的な出来事があったがその頃は私はEと仲良くなることに熱心だったので出来事自体は覚えているが、その後の顛末などは忘れているのか。

もしくは4年になった時にその出来事が起きたのか。

 

 

ここまで書いて、自分の嫌な過去を掘り出すのはやっぱりキツイなという気持ちがかなり強くなっている。なんというか、自分にとって小中学生の頃のことはまさに黒歴史で、今でも地元に近い場所に住んでいるにも関わらず、誰1人として連絡を取っている人がいない。というより取りたくないので取らないでいた。Mともは結婚した時にお祝いをもらって、その時に会ったのが最後。

 

Mとは母親同士、兄弟同士まで仲良くなっていたくらいだったので、母は今でもMの母親と付き合いがあるし、母を通じればMと連絡を取ることは可能だと思う。

ただもう今さら連絡を取ったところでどうするんだ、ってくらいには年月が経ちすぎた。

 

Mと、まだ出てきてないけどそれなりに仲良くしていた人(R)となら、会いたいとまでは思わないけれど、絶対に会いたくないというわけでもない。

いや、今まではもう小中学の時の人とは誰1人として絶対に会いたくないと思っていたけれど、こうして振り返ってみるとMとR以外でも、もし偶然顔を合わさせてお互いに相手がわかったら笑顔で「久しぶり」って言えそうな人はいるなって気がついた。

 

過去のことを掘り返すのはキツいけど、気が付かなかった感情とか、忘れていた人とか発見するのはちょっと面白い。今までロクでもなかったとしか思ってなかった時間が少しだけ救われる気がするというか。

 

文章がかなり支離滅裂だし、時系列がめちゃくちゃだけど、思い出したり赴くままに書いているのであまり整理はしないでそのままにしておく。

誰かに読んでもらうことが目的ではなく、あくまでも自分が振り返るためのものなので。

 

だから最初にも書いたけど、無意識の記憶捏造や自分がどうしても語れない都合の悪いことはあると思って欲しい。将来これを読み返した、今よりもっと記憶力の衰えた自分が都合の良い解釈をしないように、これだけは注意しておく。

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